わたしの鼓動

Aug/2003 

教えること・教わること

今の私の一番の先生は、タロットカード、だ。
タロットに教わる生徒は私だけ、なので・・・“えこひいき”なんてものは、ない。
生徒である私がこびることもない。
先生=カードは何も強制できない。
何かに違反したから、とか、飲み込みが悪いから、といって、罰することも、しない。
(ただ、ドキッとさせる=警告、は、するのだけど・・・。恥をかかせたり、肉体的に痛めつけたり、感情的になって罪悪感を抱かせたり・・・なんてことはカードにはどうしたって、できない)
そう、“ないない”づくしの師弟関係。
そう・・・“師”の方の感情がないんだよ、ね。
私の方が、“師”の感情に気を使わなくて、いい。
敬うことはするけど、ね。
顔色はうかがわなくて、いい。
そうして・・・カードはきれいな布に包み、丁寧に扱う。

タロットにできるのは、ただ、興味を引き続けることだけ。
意味ありげ、な、そぶりを見せて、人をうれしがらせたり、びっくりさせたり、がっかりさせたり、考えさせたりすることで、方向を指し示す。
私が私のことに集中し、見いだせなかったつながりを見いだし、学び続けよ、と告げ続ける。

自分と繋がっていない状態でカードを引いても、全くけちょんけちょんなカードしか、でない。でも、ただ、それだけのこと。また、シャッフルしてしまえば、何もなかったかのように、静かな、場。

カードが伝えたい、“正しい”状態。
それは、“愛ある状態”なんだよね。
“自分には、分かち合う愛がたくさんある”、“その愛が自然に伝わってゆくように”という心持ち。ありようが“いのり”である心持ち。
そうすると、明るい未来。少なくとも、勢いのある、今、を見せてくれる。

占いの対象は、事柄だったり、特定の誰かとの関係だったり。
“私がそのことや、そのこととの間から学ぶことは?”という姿勢でいると・・・
次々に学ぶ事柄の本質が、表面的なものの、ずっとずっと奥にあるもの、が、はっきりと形をとって、現れる。

たんなる直感にも、いろんなメッセージが含まれているように思うけど、カードだと、何かがより鮮明に、出る。詰めの甘い私の枠を遥かに?超えた、より具体的?で、はっきりした?方向性。

・・・別に・・・タロットの宣伝をしているわけでは、ないの。
“タロットだからすばらしい”と、いっているわけでも、ない。
でも・・・なんか・・・その淡々としたありように・・・
師弟関係?人間関係?の本質が現れている気がして・・・。

わたしはどうしても、気ぃ使いぃだったりして・・・気になるんだよ、ね。人のありようが。
そうしてね、競争せずにはいられない、の。
自分の中で優劣を付けねば、気が済まない。
それは・・・本能からくる人間のありようなのかもしれないし・・・(いえ、わかりません<_ _>)
・・・私の傷ついた心のありようが・・・そうさせている・・・のかも、しれない。

“何もなくても満足”、“ただ、在る、居る、だけで満足”・・・そこからはほど遠い私のありよう。


 “そのまま、ありのままでいていいのよ”

“そのまま、ありのままでいたら、痛いよ”
“安心したい”
“すぐれているって思えたら、安心できるような気がするよ”

私の心のどこかが、いう。
だけど・・・“すぐれている”と思うところからくる“安心”なんて・・・一瞬にして消えてしまう。
幻の満足、だ。
毎瞬毎瞬確認しなくては。
そうして、ね、毎瞬毎瞬人と比べていたって・・・本当はちっとも満足できない。
本当はちっとも満たされない。

カードが私に告げるのは・・・
 “あなたを超えたあなたとつながっていなさい”
 “ただ、満たされた気分でいなさい”
 “あなたを超えたあなたも、あなた”
 “それを受け入れなさい”
 “そうして・・・”
 “あなたを超えたあなたに寄りかかったりしがみついてはいけません”

 “あなたを超えたあなたがどんなにすばらしい体験だとしても・・・”
 “だからといって、「あなた」がすぐれているわけではありません”
 “謙虚でいなさい”
 “よりしろ、としてのあなたを磨きなさい。鍛えなさい”
 “良き「よられるもの」になりなさい”

う〜〜〜〜ん。
なんだかさっぱりわからない。

・・・・・・
とにかく・・・
カードは寄っかからせてくれない、の。
依存させて、くれない。
依存するのでは・・・私は結局、消耗してしまう。
エネルギーを節約するつもりで、依存しても・・・もう、それでは、通用?しない。

それでも、“現代に生きる人間”でもあるので・・・
いろいろな誘惑、がある。

自分につながることなんかより、テレビを見なよ。誰かとおしゃべりしたり、出かけたり、買い物したり、本を読んだり、食べたり、飲んだり、みんなと遊んだり、騒いだり、しなよ。何かを観にいったり、新しい体験を追いかけなよ。いつもと違うイベント、やってみたら?

だけど・・・ね。それはもう、私にとっては、ほとんど時間つぶし、なんだよ。
私を満たしてくれるものじゃないんだ。
人生のまた、違った局面なら、ね。
それは、必要なことかもしれない。また、必要になるかも、しれない。
だけど、それは、今じゃ、ない。

 “注意深くいなさい”。
 “あなたを満たすもの、と、空しきもの、を見極める目を養いなさい。聞き分ける耳を持ちなさい”。

そう。“時間つぶし”と思ったものの中にだって、私を満たしてくれるもの、ある。
その時々で。
“私を超えた様々な私”は“これだけやっていれば大丈夫”や“こうすればOK”という法則はもう生きられないんだ。

その時々で気まぐれのように現れる何かに、好奇心に、いのちに身をゆだねながら・・・できれば優雅に、この世を泳ぐ。ううん。多分いつも、いっぱいいっぱいで、ぶざま?にあがきながら?なんとか、泳いでゆく。

かといって・・・今はまだ、
“有り余る愛情を分かち合う”モードにずっといることも、できない。
情けない。バランスが悪い。すぐ、何かにしがみつきたく、なる。

 “良きよりしろでいなさい。あなたを鍛えなさい”、
 “何かにしがみつかなくたって、いつもそばにいることを学びなさい”。

・・・まったく・・・。
何というメッセージ。
そんなこと、できるかできないか、わからないのだけれど・・・。
しょうがない。その時々で・・・私の心にかなう鍛え方をし続けることしか・・・もうできない。

ゆっくりと出会えるものに出会い、自然に鍛えられるように鍛えられていくのを信じて・・・ 十全に、自然に、激しく・・・生きる、いのちと、ともに、いる。











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