わたしの鼓動

Dec/2003 

分断

私の中の人を区別するこころ。
判断し、分断する。

・・・ああいやだ、と思う。

自分よりすぐれていると感じた人にたいして、己を恥じて、無に等しいと思っている。
自分より意見をいわない人に、なんだか延々としゃべり続ける。相手の人には迷惑かもしれないのに(いえ、何とも思っていないのかもしれないのだけど)。自分ではなんかおかしい、自分でもなんかおかしい、とおもうのに・・・

なんか、へん、なんかおかしい。

そうして・・・自分の中の問題にやっと気づく。

自分の中の分断にやっと気づく。
“それが問題なのだ”、“それが問題なのかもしれない”・・・という考えに到達する。

じゃ・・・自由な私って何? 私は本当はどうしたいの?

  “己を恥じずに己を表現する”
  “相手を無視するのではなく”
  “相手のありようを相手のありようとして尊重し”
  “己を恥じずに己を表現する”
  “相手のありようを尊重し相手に伝わるように”
  “己を恥じずに己を表現する”
  “深い部分からの知恵を汲み出す”

ええ〜〜。
そんなこと、できるの!? いったい・・・私が!?・・・

  “今まであなたはさぼり過ぎていました”
  “全部を使って生きる人を、「人よりすぐれている」特別な人だと誤解して”
  “さらに、すぐれていては、人に寄りかかられてしまうとおそれて”
  “「なにもできないの」と言い訳して過ごしていました”
  “もうそれはできないんです”

  “全部を使って生きたいんでしょう?”
  “全部を使って生きなさい”
  “瞬間瞬間、さぼらずに生きなさい”
  “「全部を使ってはいけない」を手放しなさい”

そんなのくたびれちゃう・・・

  “そう、あなたは今まで「全部を使う」のが稀なことで”
  “それは、くたびれる、大変なこと、と思ってきました”
  “一回一回、はーよくやったと、くたびれ気分にひたっていました”
  “逆なんですよ、全部を使うのが当たり前なんですよ”

  “自分と繋がり、光と繋がり、痛みと繋がり、人々と繋がって、世界と繋がって”
  “己を恥じずに表現なさい”
  “人は誰でも、天と地の結び目です”
  “天と地の結び目である己を生きなさい”
  “人は誰でも、そうなんです”

なんて要求水準の高い・・・

  “そのために生まれてきたんでしょう?”

・・・・・・
そのために生まれてきたかどうかはわからないけれど・・・。
・・・そう生きられたらいいとは、思う・・・。

  “そのために生まれてきたんでしょう?”

うん。そう思う。そう生きられたらいいな・・・。
来年?の、ううん、私の一生の課題、かな?
うん、きっと・・・そういう道を歩きたいのかもしれない・・・。
そうすると・・・人生が自然に展開!?していくのかもしれないね・・・“今を生きる”ことになるのかもしれない・・・ね・・・。

  “己を恥じずに己を表現しなさい”
  “己を恥じずに己を表現しなさい”
  “己を恥じずに己を表現しなさい”
  “己を恥じずに己を表現しなさい”


そうか・・・。私は私をそんなに恥じていた?のか・・・。

全部を使っていると・・・何かが?自信が?生まれる・・・のかな?
私の中に分断がなくなれば・・・
今まで人にしていた失礼を・・・せずに済むように・・・なる・・・?。


己を恥じることが、人への失礼につながることも、ある・・・。
ううん、私の場合は、“己を恥じること”と“人への失礼”の根っこが同じところにあったんだ・・・。

・・・・・・
ううーん。まだよくわからないけれど・・・。
きっとこれは、04の課題・・・。




 





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