わたしの鼓動

Jan/2004 

時間

年齢も40歳をこえるとなると・・・
時間の有限さ、に気づく。ううん、宇宙を流れる時間は無限。
人間として、の、私の時間。の有限さに気づく。
人間としての“私の寿命”を意識し、“いったいそれまでに、したいことがどれだけできるのか”、“そもそも、したいことって何なのか”。
それまでよりずっと強く意識する。

  “あなたはいままでさぼってきたから、ね”
  “今から気づき、魂の望むことをしないと、ね”

・・・・・・
うーん。無駄なことはしていられないな、と思う。
かといって、“肝心なこと”がなにか、わかっているわけでも、ない。

たくさんの煩悩に誘惑される。

いつもいつもすべてを使って生きたい、と思っても、とても上滑りなことに、焦点を合わせてしまう。いとも簡単に。
いつもいつも自分とつながっていたい、と思っても、簡単に、それまで通りに、切り離し、切り離され、で、生きてしまう。

それでも・・・何かに近づきつつ、ある。“すべてを使っている自分”として、の信頼?を得つつある(ような気がしている)。

個人的なおしゃべりや、単純なレジャーや、“うらやましいから”という動機で何かするのは、たぶん、もう、私にとっては、“時間の無駄”なんだ・・・。
(と、いいながら、そういうこともいっぱいして、誘惑にもいっぱいはまっているけれど・・・)



距離を置いていたお友達とは、また、おしゃべりしたり、会ったりするようになった。
彼女は本当に根気強く待っていてくれた。
その時々で。“まこらんの方にも、何か思いがあるんだね。そうして、私はあなたのことを気にかけているよ、お友達だと思っているよ”、と。
ずっと、待っていてくれた。

断食をすると・・・人はその時本当に必要なことをする、という。寝たいだけ寝続ける人もいれば、どこまでもどこまでも歩き回る人もいる、という。そうして、どの人も・・・断食前と後とでは、その人の描く絵がまるっきり変化する。線の力強さ、絵の生き生きさが、まるで、違う。・・・と、TVで、見た・・・。大分前のことだけど。

そんなふうに・・・私にとっては03は、ちょっとした“無言の行”状態=“心の断食”状態で、個人的で無駄なおしゃべりをせずにいて・・・何か、必要なことをしていたのかもしれない。自分が自分に出会うために。“無駄なことはしない”とはなにか、“無駄とは何か”を知るために。

待っていてくれた友達とは・・・もう無駄なことをしゃべる必要はないんだ・・・。ただ、自分が発見したことを伝える、の。彼女も彼女の人生で自分が発見したことを、伝えてくれる、の。

私の中で抱えきれなくなった感情を支えてもらったり、混乱した自分を立て直す?のをつき合ってもらったり、もうそういうことは(たぶん、そんなに頻繁には、あるいは全く)必要ない。(いえ、もちろんそういう時もあるのかもしれないけれど)。

たとえ、遠くに離れていても。具体的な私生活の様子を知らなくても。いつもいつも彼女のすべてを受け入れられない、としても。
(そんなことは、はじめっから、期待されていなかったんだ・・・)
その人は私の大切な、友達。
“在ること”が“ちから”となる、“在ること”を“ちから”とする、大切な、友達。

本当に困った時に。
ううん。うれしい時にも。
ただ、お互いに“在る”ことができる・・・。

“在ること”を“ちから”とすることができるなんて・・・そりゃ、すごいことだ、とおもう。


ゆっくりと、何かが研ぎすまされてゆく。
ゆっくりと、何かが熟成し、何かが整ってゆく。

何かが終わって、何かが始まった。
・・・そんな気がする。


 






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