Jul/2003
痛ましい事件。起こっている。
12歳の少年が起こした事件。
それから、6年生の女の子の監禁事件。
沖縄であった少年少女によるリンチ事件。
私には子供はいないのだけど・・・。
それぞれの場所から、遠く、にいるのだけれど。
同じ日本の中であったこと。
私が呼吸している、この時、に起こったこと。
“大人としての私”が、呼吸している、この時に、起こったこと。
具体的なすべを持たず、力を持たず、何もできず、そして、少しでも責任のある側、として、呼吸しているこの時、に起こったこと。
それは、新しい?苦しみ。
理解を促す苦しみ。
始まって?いる。
生まれて、いる。
(そんなふうに感じる)
ものが豊かにあり、平和で、安全で、治安の行き届いているはずの場所で起こったこと。
あるいは、そうなってはじめて?起こりうる?こと。
新しく、痛みをともなう、生きているものの課題。
たった4つでなくなった男の子。
口も聞けないほど、恐怖を味わった女の子。
友達のはずの人々に些細なこと?で、徹底的に痛めつけられた少年。
ご家族、まわりの人々の、悲しみ。痛み。
日常生活も。
ほんの少し、薄皮を剥がしただけで・・・
本当に、危うい。
子供を取り巻く環境。
ネイティブアメリカンのある部族は、7代先の子孫にとって“それがよいことかどうか”を考えて、政策?部族としての選択?を決定する、という。
約200年先の子孫。
200年先の世界はどうなっているのだろう?
200年先の地球はどうなっているのだろう?
200年先の日本は?
200年先の私の住んでいる地域は?
子や孫、のその、先の先、のそのまた、先の先の先。
私や友達の血族たちは・・・どうなっている?
大人でさえ、目先のことしか、考えて、ない。危うい社会。
子供や孫に借金して、経済をまわしている(結局過度の国債、とは、そういうものになってしまうのだと思う。先送り、社会。一事が万事、そういう風潮があると、思う。理解が違っていたら、教えてください)、益があるつもりになっている、目先のみ、の社会。
行動の結果、に想像力が働かない。
行動の結果、へのイマジネーションが抑止力として働いていない。
と、いいながら・・・わたしだって、単なる目先人間だ。目先人間でしか、ない。
“弱いものを理不尽に痛めつける”。
“弱いものから理不尽に奪い取る”。
“弱いものを理不尽に利用する”。
“弱いものを理不尽に切り捨てる、いないものとして扱う”。
そんなことは、おかしい、と。
そんなことは、まちがっている、と。
心ある人々が立ち上がり、賛同の輪が広がり(時にはエゴ?から、時には強制?的に)、その都度ふさわしい、“しくみ”をつくってきたはずなのに・・・。
人類=ホモ・サピエンス。
多くのものを記憶し、伝え、意味を見いだし、適応し、繁栄してきたはずなのに・・・。
“文化”を。“法”を。“文明”を。“社会”を。築いてきたはず、なのに・・・。
機能していない。
あるいは・・・“しくみ”から、こぼれ落ちてしまう。こぼれおちてしまって、いる。
なにがどうなっているのか。
“学べ! 学べ! 学べ!”
と。
“助けて助けて助けて”
と。
何かが叫んでいる。
悲鳴、をあげている。
そうして私は・・・
何もできない無力な私、を引きずりながら。
その声とともに、いる。
少なくとも。
今しばらくは。
その声とともにいる強さを。
私にください。
メールお待ちしています angel@makoran.jp