Jul/2005
自己紹介用エッセイにもある祖母が亡くなったときの思い出。
なぜだか、また浮上する。もうすんだことだし、エッセイにも書いたのに・・・。
ワークして!と、チャイルドがせがむ。
あの時、私は4つぐらい。幼稚園の年少さん?年長さん?ううん。幼稚園前だ。Y市にいたのだもの。
ちゃんと当時の私にも、死とは何かがわかっていて・・・もう、生きて肉体を持った祖母とは2度と会えない。
それはとても悲しいことで・・・悲しいことを私なりに受け止めようと・・・小さいなりに受け止めようと・・・とてもとてもがんばって・・・きちんとおばあちゃんにお別れをいおうと・・・心に決めていたんだ、と思う。(ううん、そんなのは、今の私の都合のよい?思い込み?かも知れない。そうだとしても・・・なぜ、この出来事が、そんなに心に残っているの?)
おばあちゃんとは、そんなに強いきずなや思い出はなかったけど・・・もし、今、ママとお別れするとしたら、そんなこと考えられないくらい、頭沸騰して、パニック起こすくらい、悲しくって泣きたくって受け入れがたい、とは分かっていた。
その時私が見たかったもの。
体験したかったこと。
それは、大人の父や叔父たちがおばあちゃんにお別れを言うこと。私にお別れを言うことを・・・促すこと。
死は悲しみではなく、怖いことではなく、人の生の中に当たり前のように自然にあって、ただ、静かにお別れと感謝を伝えあう時なのだ・・・と身をもって教えてほしかった。
父が亡くなる時には伝えた。
(実際にはその後一年もこの世に生きていてくれたのだけど)
“あなたの娘でよかった”
“育ててくれてありがとう”
と。
それを父は喜んだかどうかは・・・分からないけれど。
私がしたかったお別れ、だ。
私がしたかった、お別れの形。
父は駆け付けた祖母の病室で、医師としての診断を促す叔父にたいして、“だめだね”と一言いった。
全然悲しそうでもなく。昏睡状態とは言え、祖母がすぐ隣で寝ているところで。
たった4つだとしても、私の胸に、それは・・・残酷に響いた・・・。
子供の私の前で、悲しみは見せたくなかったのかも知れない。
父は父で、叔父は叔父で、個別に、あるいは胸の内で、祖母にお別れをつけたのかも知れない。
だけど・・・
私だって・・・お別れを告げたかった。身近に暮らしたことはない人だったとはいえ・・・身内の死にお別れを、最初で最期かも知れないやさしさや感謝を・・・伝えたかった。
(うーん。我ながら、ませた子供、だ(^_^ゞ)
(でもね、どうしても、そうだった!と、私のどこかが主張している・・・)
(しょうがない、そこも尊重してあげないと・・・)
もしそれがあれば、その後、私は“死が怖い”と極端に思い続けることもなかったのに。
やさしさを自然に表現していいと・・・もっと自分に許可がおろせたかも知れないのに。
・・・と・・・
起こってしまったことのせいにしても・・・しょうがない、ね。
そう言えば、私は父に抱きしめられた記憶も、ないな・・・。
かわいそうに・・・。
そっか、父は私には、やさしさが表現できなかったんだ。
そして、(チャイルドの私の全く狭い視野の見方からすれば)私がやさしさを表現する機会を奪ったんだ・・・。
勇気を持って、やさしさを表現する機会を奪った父。
小児科医だったのに・・・。
どうして、私を抱きしめてくれなかったの?
どうして、私がやさしさを表現する機会を奪ったの?
パパともっと話がしたかったのに。
近くて親しくて、ずっとずっと遠い人。
赤ちゃんの頃は母が焼きもちを焼くくらい?父は私にべったり?だった?のに・・・。
私の心にはタッチしてくれなかったね。
私をやさしく包んでくれなかったね。(母に遠慮して?)
私が本当にやりたかったことの味方には・・・なってくれなかったね。
そっか。
私は、父に・・・そんなことを怒っていたんだ。
そんなことの、文句が言いたかったんだ。
そっか。
やっと言えてよかった・・・。
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