Jun/2004
何度か、“書こう”と思ったのだけど・・・。“時期”じゃ、なかったらしく、書けなかった。
2月3月から4月にかけて、なんだかすごく苦しかった。自分が自分でない感覚。
そうして、何かが、私を呼ぶ。
ううん。呼んでなんかいないのだけど。
真剣とは何か、献身とは何か、慈悲とは何か、について、瞑想する。
叔父・伯父たちが、立て続けに入院する。友人も。私は何もできはしないのだけど・・・。遠隔ヒーリングを送る。それは、私の何かも、洗い流す体験。何日も、何日も、続けて、送る。
母は、“B叔父さんの容態は大分いいんですって。あなたの遠隔ヒーリング。一番遠くの人に、一番効いたのかもしれないわよ”と、いう。
何もできない、という感覚。
瞑想の中に仏陀が現れる。きっと幻影。幻(まぼろし)。
だけどね、私には、意味があった。
瞑想して、ガリガリに痩せた、仏陀。
志(こころざし)があって、身体を省みず、何かを求めて、何かを追い込む。とてつもなく、痛々しい。
“あなたは、あの時は、逃げ出したけれど、今はどうしますか”
何かが私に問いかける。
逃げ出した私は、まだ少年。ほんの子供。手塚漫画の影響?が見せる幻? なんだか分からない。
私は、涙を絞り出すようにして、泣いている。
少年の私は、仏陀のすばらしさを知っている。そのままで、本当にすばらしいのに、なぜ、そんな激しい修行をするのか、分からない。理解できない。どこかでは分かっていても、やっぱり、どうしても、分からない。
どんどん痩せていく身体を見て、なんとか、少しでも、何かを食べてもらおうと思う。
食べ物をこっそり持ってゆく。
仏陀は、横になっている。食べ物を持ってきた私を慈悲深い目で見て、“今の私には食べ物はいらない。山道をくるのは大変だったろう。おまえは気をつけて帰りなさい”という。
痩せて横たわっている仏陀を見て衝撃を受ける。それでも、なお、何かとてつもなく大きなもの、高いところにあるものを求めている意志や精神に衝撃を受ける。
私をやさしく諭す、深い配慮に衝撃を受ける。
私は、ただ、逃げ出すしか、ない。
己の浅はかさに。
小さな心に。ちっぽけな配慮しかできないことに。
肉体の痛みや、心の痛みにとどまる力がない。
“小さな子供だったのだから。それでいいのですよ”
“そうして、今は? 今なら、どうしますか?”
え? いま?
今の私だって・・・逃げ出したい。だけど、もう、逃げ出すのはいやだ。そんな選択は、いやだ。いやなんだ。どうしても、いやなんだ。
・・・どうしたらいいんだろう? どうしたいんだろう?・・・
もし・・・ね・・・
そうすることが許されるなら・・・
今の私ならば・・・食べ物を受け付けず、痩せて、横になって、修行している仏陀のそばにいて・・・ただ、見守っていたい。どんなふうにかは、分からないけれど。“あなたの痩せた肉体とも、高い志を持った私には計り知れない精神とも、許されることならば、そばにおります”と。
ううん、今の私なら、まず、半狂乱になって、仏陀の手足を・・・マッサージするの、かも。手足を少しでも暖めようと。するの、かも。
だけど、仏陀には・・・そんなこと、余計なことなの、かな。
ただ、そっとしておいて欲しいんだろうね。
手出しも、口出しも、せず。
何もできない。
逃げ出したくない。邪魔にもなりたくない。
“そんなきびしい修行をする必要がないくらい、あなたがすばらしいって思います。そのあなたのすることだから、私には分からないし、とてもとても痛々しいのだけれど、あなたをただ信じます。そばにいさせてください”
・・・言葉にすると、うすっぺたい、ね・・・。
ま、うすっぺたいのが、わたしなんだ・・・。
きっとわたしは・・・私なんか、最初からいる必要なかったと分かるまで・・・ずっとずっと仏陀のそばにいるんだと・・・思う・・・。
ただ、肉体の痛みが和らぎますように、と祈るんだとおもう。
なにかが全うされますように、どんなにくるしくっても、そのとおり成就することを知っています。
・・・という想いとともに。
このまぼろしにどんな意味があるかは分からないのだけれど・・・
何かが始まっている・・・ような気がしているんだ・・・。
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