わたしの鼓動

Mar/2004 

旅支度

 また、母もの(^_^ゞ。

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 母は、“私にはあなたを理解できない”。“私にできる旅支度はみんなしてあげた”。“たとえあなたはそれが気に入らないとしても”。“私は精いっぱいやった”。“あなたは私をあきらめて、あなたにふさわしい生き方を見つけなさい”。

 “そんなこといったって、ママは私に「来て」というじゃない、「手伝って」というじゃない、愚痴や文句を垂れ流すじゃない”。“私にはそれが苦痛で苦痛で仕方がない”。“あなたは結局、私を手放さない”。“あなたといるからには、私は私を貫くわ”。“私は私の愛を広げて、あなたの心、あなたの身体を温める”。“それが私の旅支度”。

 “私の愛をあなたが受け入れても、受け入れなくても、いつか私たちは離ればなれになる。身体という乗り物を通じてのふれあいはできなくなる”。“私は私の道を、あなたはあなたの道をいく”。“そうして・・・せっかく縁あって親子で生まれたのだから、私はあなたと出会いたい”。

・・・そうしたら母は・・・何というかな?
私は何というんだろう?
そう、そんなふうに・・・私たちはもう少しで?出会う?所まで?出会えるか、出会えないか、もう少しで、はっきりわかるところまで・・・来ている・・・。

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少し前に夢を見た。
砂場で小さな私と母がいる夢。天使がやってきて、私を荷物のように担ぐ。
“もう、あなたには育てるのは無理だから、私が引き取ります”。
そうして、修道院につれていく。

そこでの私は、幸せなんだろうか?

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私は・・・私のチャイルドを見つけつつある・・・。

私のチャイルドは、穏やかに座っているのが、好き。
ひかりと溶け合う体験が好き。

呼吸が深くなる。ただ、じっと座って・・・感じている・・・生きている・・・。

つかもうとして、つかめない陽の光。そこにあり、そこに見え、厳然と在る。軽妙で厳かでただただ平和なもの。さり気なくふんだんにあり、取り立てて特別じゃ、ない。ごく普通、ごく自然、そうして、尊い。

 “その光が人を癒すんです”

ただ、感じれば、いい。それだけでつながる。それだけで包まれる。

ただ、感じるだけで・・・それだけで陽(ひかり)になる。

 “人や癒され、世の中は明るくなります”

・・・そんなふうに簡単に・・・人は光につながることができるんだ・・・。

それがこんなに簡単にできるんだってことを・・・私は人に伝えたい。(私は母に?伝えたい?)
(え?私にだってよく分からない?のに?)

それは、ほんとうに・・・理屈じゃ、ない・・・。

ただ・・・感じるものなんだ・・・。

光とつながる部分は柔らかく、傷つきやすい・・・だれもが持つ宝・・・。

だけど・・・押さえたり、仕舞い込んだり、よろいをかぶせたりしたのでは・・・生きている感じがしないんだ・・・。

・・・どうしたら、取り戻せるだろう?
どうしたら、再びつながれるんだろう・・・?

母は宝にけちを付け、怒鳴りまくり、切れまくることでよろいをかぶせ、“この世”に適応させた。
それが、彼女の愛情のかたち。

そうして、私が得たものは、どれも結局は、私を幸せにしなかった。
(それを幸せに結び付ける力が、私には、なかった・・・)

そう、たとえ、愛情からでたものだとしても、精魂込めたものだとしても・・・人を幸せにしないことだって、ある。

“ちちははの理解の範囲”という制限のある愛、では、ね。(でも、それは彼らのせいじゃ、ない。そういうことだって、ある。人間なんだから)。

そんなふうにすれ違う。

私は感謝している。そうして・・・私は満足を得られなかった。
だから、これは、私の責任、だ。私の幸せ、への責任。

私の幸せって、何だろう?

・・・・・・・・・・・

奥になる、穏やかで、深く、息づくもの。深く感じているものと乖離した生き方は、もう、できない。

いい悪いを超えて・・・そういうふうにしか、生きられない・・・。

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私は私のチャイルドと、母をつなぐ道?橋?を見出すことができるだろうか?

私は私のチャイルドと・・・私の周囲、世間、世界、宇宙とつながる、“身体を通じての道”、“言葉を通じての道”を見出すことができるだろうか?

今は、まだ、わからない。








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