わたしの鼓動

Mar/2004 

旅支度2

母にヒーリングをする。丸い背中。小さな胸。

 “いやなのにさせてあげるんだから、お金ちょうだいね”

愛情を、駆け引きにする。母。

静かな時間を共有する。静かなひかりを共有する。


私は母に感謝する。してくれた、数々のことを。
私を大切に育ててくれたことに。感謝する。


“で、あなたはどうなの?”
“?”
“あなたは疲れたりはしないの?”
“しないの。私も、癒される”

“私には効かないわよ”といっていた母だけど。
“足、暖かくなったわ”。
母は小さく、さりげなく“ありがとう”という。

“スキンシップは安全だ”、“愛情は疲れたり減ったりしない”と・・・母はやっと確認する。確認しはじめる。


私を生んでくれたひとをあたためられるなら、本望だ。

それができるなら、もう、何も、いらない。
それくらい大切なことなんだ。
ほかの人にはどうあっても、私にとって、私の魂にとって大切なこと。
理屈じゃ、ない。
私は、私にとって大切なことを、またひとつ、見つける。


・・・・・・・・・・・・


“人の音を聞いて?みて?”

音のセミナーに参加する。
みんなが、声や楽器や手拍子で、即興にリズム、メロディー、響きを楽しむ。
突然、他の人の出す、ううん、人たちが出す“音”が聞こえる。いくつも重なって、うねっている。不規則なリズムのなかに、何かが?法則が?見えたり、隠れたり。楽しげに、刻んでいる。その音に、さらにピタッとくるように。私も音を重ねる。そういうことってできるんだ。共振し、共鳴する。ただただ心地よく、楽しい。面白く興奮し、そして、また、静けさが戻る。

この共鳴は、この共振は、このリズムは、このメロディは、この心地よさは、一人では、えられない。どうしても。どうしたって。人は一人では生きられない。

私は、人の音を本当の意味で聞いてきたかしら?

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そんなふうに、人と奏でるもの。人と作り上げる楽しさの本質?を知っているのに。知っていたのに。
ううん。私は、本当の意味で知っていたかしら?
いつもどこかでこわがっていたんじゃないかしら?

なぜ怖かったんだろう?

欲しくて欲しくてたまらないのに、何が欲しいかわからなかった。
  人と奏でる。人との共鳴。
欲しくて欲しくて溜まらないものは、私がどこかで恐れて?こわがっていたもの、なのかもしれない。

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人の土台の上でエゴを発揮したい。その上でむちゃくちゃに壊したい。それが快感。
そんな安っぽい快感しか知らなかった。

人の奏でる音を無視して、自分がしゃしゃり出るように。
そんなふうに、壊してきてしまった、たくさんのもの。

だって怖いんだもの。
それしか、わからない。
共鳴するってわからない。
一歩引くってわからない。
一歩引いたらどうなるか、わからない。

だから、聞く余裕がない。
聞いてこなかった。
なんてもったいなかったんだろう?
なんて、何にもであってこなかったんだろう?
なんて大切なものを見逃してきたんだろう?

壊したり、踏みにじったり、自分が一番でなくちゃ、と思ったり、お山の大将になりたがったり、そんなふうに、作ってしまった、作りたくなかった、たくさんのがれきの、山。それが、“楽しいことだ”と、誤解していた、恥ずかしい私・・・。そうして、それも、私。

“つながっていい”、“信じていい”。

微妙な感覚。感触。微妙な、音。

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赤ちゃんはね、“いやいや”をする時期がある。何を出しても“いやいや”。“○○しようね”といっても、“いやいや”。そんなふうに、よく配慮されたものでさえ、“いやいや”する。拒絶、する。拒絶して、無にする。配慮を。愛情を。そんなふうに、壊す。壊しても、また、現れる。壊しても、大丈夫。と、納得するまで。“いやなものは嫌といっていい”と納得するまで。“いや”といっても愛情は壊れないんだ、と納得するまで。“いや”を体験する。“いや”を生きてみる。

そうすると・・・安心が生まれるんだって。
“いや”を受け入れる懐の深さがその子に自然に培われるんだって。

どんな自分も大丈夫。受け入れてもらえる。どんな自分も大丈夫。まわりを壊さない。壊れない。と納得する。もう、“いやいや”は、しなくて、いい。
なんて、人間は面倒くさく、プログラムされているんだろう?
何という配慮を要求するものなんだろう?
受け入れられることが、受け入れるものを作る。

“いや”を受け入れてもらえないと、知恵を持って接してもらえないと。
そのおもい残しが、思わぬところで顔を出す。人によっては、不信がぬぐえなく、なる。人にも。自分にも。信じられない。信じていい、と思えない。

本当はそれが一番欲しいものなの、に・・・。

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瞑想して、座りながら恥ずかしさと共にいると、熱が生まれる。じっと感じ、天へと帰す。恥ずかしさは静かで透明な熱となって天へとかえってゆく。

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人の“音”にほんのちょっと耳を傾ければ、もっと、もっと、別の楽しさが、本当の楽しさが、得られるんだね。後で恥ずかしさや、罪悪感やいいわけや、ごまかしや、そんなことの、ない、ただただ楽しいだけの、瞬間。ひととき。

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謙虚に。ごまかさずに。自分をはじめる。
どんなに小さくても。どんなに低くても。
あたたかく、ほこれる、自分を、はじめる。
楽しみをあたため育む自分をはじめる。
もし、そのために困難があるのなら、
その困難を引き受ける自分をはじめる。

いつか困難?も楽しみとなりますように。










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