May/2002
ピンクのミニバラ。小さなベランダに文字通り花を沿えてくれている。心和む花。今の私の大切なお友達、だ(^_^)。
ミニバラさんは、ウドンコ病にかかっている。葉っぱや花に白っぽい粉のようなかび?が生える病気。アリマキ(緑色の小さな昆虫)もたかりがち。バラは病気にかかりやすい、それから、肥料なども必要な手間ひまかかる、植物。ミニバラはそんな中でも育てやすい、丈夫なバラだと聞いた気もするけれど・・・。
なにしろ、家のミニバラは元気いっぱい。沢山のつぼみをつけ、次々に花を咲かせてくれている。愛らしい、花。
お花の咲く植物を育てるのは苦手だった。ミニバラも何回か、枯らした。
ウドンコ病にかかりはじめてから、“有用微生物混合液”の薄めたやつを毎朝スプレーしている。けっこうたっぷりと。竹炭液でも、木酢液でもよかったのかもしれないけれど。たまたま家にあったので。“有用微生物混合液”を使っている。それが効を奏しているのか、たまたま、丈夫なタイプのミニバラなのか、ベランダの環境が以前よりよくなったのか・・・。わからないけど。ミニバラさんには沢山のつぼみ、沢山の花。きれいなピンク。ベランダのちょっと華やかなコーナーだ。
以前ミニバラを育てたときも、やっぱりウドンコ病にかかった。その時も同じ液をスプレーした。だけど、全然よくならなかった。さらに、罹患した葉っぱをアルコールで拭いたり(それが適切な手当かはわからないけど、いわゆる農薬、薬は使いたくなかったので)、ウドンコ状部分を次々に摘み取ってみたりも、した。でも、よくならなかった。結局、枯らしてしまった。
なんとなくわかったのは・・・。
以前の私はもしかしたら、とっても、“心配”とか、“どうしよう”と思いながら、液をスプレーしていたのかもしれない。バラの“育ちたい”、“花咲かせたい”という気持ちと一緒にいるというよりも・・・、私自身の、“また枯らしちゃったら嫌だな”、とか、“私ってば、本当にお花育てるの、下手、だめだな〜”、とか、“とにかく菌をやっつけてやれ!”という気持ちから・・・スプレーしていたのかもしれない。そうして、その、“心配”や、“自己嫌悪”や、“攻撃”の波動が・・・ミニバラは、嫌だったのかも・・・。
今は、ね。そのウドンコ病菌をも、吸い込む気持ちで。大らかな気持ちで。“きれいな花を咲かせてね”、“ウドンコ病は心配すること、ないよ”とか、“みんなが丈夫で、嬉しいよ”とか、思いながら・・・。スプレーしている。(^_^)。ウドンコ病にかかったって。バラは何も欠けていない。
ウドンコ病とともに生きて、元気に花を咲かせるミニバラ。
病原菌をも、吸い込む大らかな気持ちが・・・ミニバラは気に入ったの、かも。
病原菌をやっつけなくっても、病原菌をなんとかしなくても。ミニバラさんは生きている。
条件さえあえば・・・植物には、もともと“育つ力”が備わっている。“花咲く力”が備わっている。まるで、“そうなりたい!”という強い意志のように。根を張り、葉を伸ばし。細胞分裂を繰り返す。あるものは茎に。あるものは花に。自分自身を養う力。自分自身を育む力。
その力を、人間は・・・ただ、見せてもらっているだけだ。植物は、私たちを押したり引いたり、しない。人間を操作、しない。ただ、側にいて、“自分のこと”をするだけ、だ。それが心を和ませる。それが心を自由にする。心癒す、植物。無条件の愛。
山椒も、ね、ベランダにある。まだまだ小さな苗、の山椒。
お豆腐の薬味に使ったり、いつの日か大きく育ったら、木の芽あえにだって使えるかもしれない。そうして・・・以前だって、そんな野心?で買ってきて・・・何度も枯らしてしまっている。
わかったのは・・・。私は山椒の木の芽が大好きだから、食べることに利用したくって、山椒を買ってきたのだけれど、私の都合で買ってきたばかりの木の芽を摘んだり、小さな山椒が苦手な日光がバンバン当る日向に置いておいたら、ね、そりゃ、枯れるのは当然だったってこと。
山椒だって“育ちたい”意志があって育っている。葉っぱを出すのは、葉っぱで光合成された栄養を元にして、もっと根を張ったり、茎を伸ばしたり、枝を出したり、するためだ。育ちたいように育つために葉っぱを出す。もし、私が薬味に葉っぱがほしいなら、ね。山椒の様子を見ながら。山椒が育ちたいように育つじゃまをしないように。“いただきますね”という感謝とともに。葉っぱを摘むのが道理だったんだ。・・・それが私には、わからなかった。私の都合で摘んでいい、と思っていた。どんどん生えてくるのが“自然”だと思っていた。私の都合で利用可能な自然。そうじゃなかったんだ。植物が、“自分のことをする”あまりを・・・私は分けてもらう・・・。それが、道理だったんだ。
相手の都合を考えず、相手の“こうしたい”を考えず、私の都合、私の計算で相手を切り刻んでも・・・結局何にも、得られない・・・。
とてもあたりまえ、のこと、なのに・・・。
そんなことすらわからなかった・・・。
相手が人間でも、植物、でも。同じこと、だ・・・。
(消え入りたいほど、未熟な、私・・・もしかしたら、それは、きっと、今だって・・・)
・・・・・・
そうして・・・もしかしたら・・・。
相手が宇宙でも、地球でも、鉱物資源でも、あるいは、たとえ機械だとしても・・・。
同じことなのかも・・・知れない・・・ね。
生まれてきた意図。“こうしたい、こうなりたい”という意志。
ヒトの勝手な計算で、ヒトの勝手な都合でもって・・・切り刻んだり、利用したり・・・はたまたゴミとして見捨ててみたり・・・。
“何だかなっちゃない”と、自分を差し置いて・・・。そういう文化にどっぷりと浸かっていながら・・・も・・・“何だかなっちゃない”と、いいたくなるような、状況・・・。
・・・・・・
私は・・・
私たちは・・・
私たちでない存在の“こうしたい、こうなりたい”を・・・
意志や意図を・・・慎重に読み解いて・・・
尊重できるの、かしら・・・
意志や意図を慎重に読み解くためには・・・
沢山の異なる、視点、が必要。
もちろん、相手自身の、視点や意見も、必要。
間違ってしまわないように。
自分の視点、に執着するのでは、なく。
自分の視点、を卑下するのでは、なく。
知恵、として、共有する。
そんなことが、そんなことが、できるのかしら。
本当の豊かさ、を育むために。
あらゆる多様性、を育むために。
豊かさの経験を楽しむ、ために。
本当の、満足を得るため、に。
・・・・・・
そのままのありようを尊重し・・・
ともに生きる。
“ある”こと自体を喜びとし・・・
ともに生きる。
心癒し、癒され・・・
活かし、活かされる、関係。
私もまた、この身を捧げる。
何に?
いのちの輪に・・・。
どうぞ、受け取ってください、と。
この身を捧げ、生きる。
・・・・・・・・・・・・
ベランダの一角も、また、宇宙に、地球に、つながっている・・・。
メールお待ちしています angel@makoran.jp