わたしの鼓動

May/2003 

小さな友達・ハムスター

あいかわらず、自分と自分でない人・もの(たち)とのこと。

それから、身体のこと。

身体はね、だいぶ楽になった。

呼吸も。姿勢も。
ずれが小さく、なる。ピントが合う。らくに歩く。らくに座る。
視野がひらける。地に足着く。

何気ない建物の何気ない階段のえも言われぬカーブ。
歩くたびに、進むたびに展開する、都市部なら道路や歩道橋の造形美。
自然の中であれば、木々や地形や草々のまた別の面、別の視点。
当たり前のものが当たり前でなく、美しい。

都会であっても地平線のずっとずっと奥まで、何かにさえぎられた、さらにその先まで、続いている。

動きのある、生の営み。

まだ、途中。
あと、もうちょっと。

・・・・・・そうして・・・・・・
自分と自分でない人・もの(たち)とのこと。

相手を信頼する、ということと、相手が自分と同じ価値観を持つ、と仮定することは、
きっと似ているけど、ほんの少し、違うこと、なんだよ、ね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・
去年の8月から小さなハムスターを飼い始めた。ジャンガリアンという小さな種類。
私は生き物を飼うのがほとんど生まれて初めて状態、なので、ほんと、戸惑う。
最初はこんな小さな生き物が、怖くてさわれない。ハムの方も威嚇したりなんかして、さわらせてくれない。

“補食される方なんですから、当然ですよ”、と動物病院の先生はいう。“お母さんがしっかりしないと”。
そっか。私、ハムのお母さんなんだ・・・とやっと自覚する。

えさをあげるときだけ、やって?来て、“君は君で生活して。僕は僕で生活するから”。そんな態度。
ピアノの後ろに別荘?をつくり、してほしくないところでおしっこし、ちっともなつかない。身体の大きさが1000倍も違うハムを相手に、怒鳴りまくる虐待ママ(;_;)・・・に、なっていた。(情けない・・・)。
今も・・・きっとハムはハムなりに警戒して生きているのだと思う・・・でもね、今は、呼べばやって来て、ヨーグルトをねだる。
私になついているわけではない。ヨーグルトになついているだけ・・・わかってる。だけどね、ふわふわの毛皮、ちっちゃな爪、ちっちゃな歯、ちっちゃな舌。

今はね、すこしは表情がわかるよ。親ばか、だけど。(一般的にハムは表情に乏しいとされている)。
少し心細くて甘えたいときは、口が“ミューミュー”と鳴くような形に開く。(ハムは鳴かない。だから私の気のせいかもしれない)。
本気で怒っている、いやな時には鼻の付近にしわがよる。(あたかもよったかのようなとんがり目つきになる)。

多分、虐待ママの次には、すごく甘やかしママになって、ハムの野生や本能を奪っているのかもしれない。
だけど・・・お互い?に、かりかりしていたときよりずっと、いい。(と、私は思っている)
新しい体験を開いてくれている、小さな友達。

ハムとは身体の大きさも、身体のつくりも、興味関心ごとも、心の表現の方法も、それから考えていることの複雑さ?もまるっきり違うので、同じ土俵で何かをすることは、できない。

“コミュニケーションには物足りなさがあるとしても、かわいい仕草を見せてもらっていることに感謝して、きっちりお世話しなさいね”。
ハム入門書にはそんなふうに書いてある。

で、工夫した。
ヨーグルト相撲。

見る人が見たら卒倒するような、遊びかもしれないけれど・・・。
(やっぱり、虐待、ママ、だ・・・(;_;))。
(うん、人には勧めません)。

私は、ハムと一緒に“遊んでいる”という感覚が欲しい。
ハムは、ヨーグルトが欲しい。

で、人さし指にヨーグルトをつけて、人さし指とハムがお相撲を取るように動かす、の。
ヨーグルト相撲はね、お互いにルールが違う。

ハムにとってはヨーグルトがなめられれば、勝ち!!
私にとっては、つり出し!たり、一定時間逃げ切れれば、勝ち。

ハムはいつも勝ち!だ。
指についたヨーグルトは、ハムになめとってもらう。
私は勝ったり、負けたり、する。

一日一回すれば十分。ささやかな、お遊び。

・・・・・・
もしかしたら、私はいつも・・・
人と同じ土俵で何かをしなければ、と思っていたかもしれない。
(そう思って人に、何かに、組織に、自分をあわせようとしていたかもしれない)。
あるいは、人を同じ土俵にあげなければ、と。
(そう思って人を、自分に合わせさせようとしていたかもしれない)。

そりゃあ、窮屈なことだったなあ。
(と、しみじみ思う。窮屈な思いさせて来た人、本当にごめんなさい<_ _>)

だけど、ね。
そんなことは、ね、同じ土俵だとかなんだとか、本当はどうだっていいことだったんだ。
自分と違うものと“楽しい”時間を持つ。
それが大事だったんだ。
それを大切にしたかったんだ。

そうしたい、と魂が望んでいる。

何事も、ね。
そのための、方策であり、方法であり、技であり、方便なんだよ。

ハムが教えてくれている。

時に同じ土俵の上で、同じルールで。時には、お互い、ぜーんぜん違うルールであっても。
楽しめる。

きっと、この地上で起きていることもそうだよね。

ハムは補食される方。強いものに食べられる。
そういうことは、どうしても起こる。
どうしても、ね。

それを悲しく痛く思うこともあるかもしれないし、
強いもの(彼等だって必死だ)の立場に立って、“食べ物が食べられた〜♪”と
喜ぶこともあるかもしれないし、
平然と淡々と冷静に冷徹に、“これが自然というものです”と、いうこともできる。

同じ土俵で戦うこと。真っ向から向き合うこと。
それは時にどうしたって必要だ。

そうしてなおかつ・・・
違うルールで楽しむ、知恵。

“この相手とは楽しめない”とおもっていたとしても・・・
楽しめない、嫌な、不快な、攻撃までしてくる、相手。
と、“違うルール”で、楽しむことができたら・・・。

それは単純な私の、単純な夢想?

何か、うまくいえないけれど・・・

何か、ヒントになるような、気がして・・・。








メールお待ちしています   angel@makoran.jp

わたしの鼓動へ

Contentsへ

ホームへ