May/2005
ずっとずっと昔・・・。
私は国を治めるもの?として・・・あるいは・・・派遣された役人として・・・その当時は犯罪者(!?)であった母を・・・捕らえたかもしれない。
犯罪者を閉じ込めておくだけの余力のある国。
“犯罪者と一緒に働くことをしなければ、そのようにお互いを深く理解し活かし合わない限り、いくらでも犯罪者は生まれる。同じものに出会い続ける”
ネイティブ・アメリカンのメディスンマンの言葉なのだけれど・・・
その当時の私は犯罪も憎んだけれど・・・犯罪者自身も憎んだに違いない。
“こやつは邪悪性がうちにあると理解できないもの”。
“うちにある邪悪性に責任を持つことができぬもの”。
“そのことそのものが、罪である”と。
“罰を受けるがよい”と。
人が人を裁くことはできないのに。
(とはいっても、そういう場面、法律制度、厳然として、ある)
(重々理解しています<_ _>)
うちにある邪悪性を理解できない人。
うちにある邪悪性に責任を持てない人がどうしても・・・生まれるのが・・・もしかしたら、今の?ううん?今までの?これからも?地球の?定め?なのかもしれない。
・・・そうだとしたら・・・
その人にだけ責任を押し付け、閉じ込めることは・・・確かに・・・解決?になるのだろうか?
(こんなのは、青臭いただの思考実験だ。わかっている)
(それでも、せずにはいられない)
閉じ込められたことを恨みに思っていた当時の母は、今生で復讐?する。
“あなたは徳の高い人のはずでしょう?”
“こんなことなんでもないんでしょ?”
小さな私を布団たたきでたたく。金切り声で怒鳴りまくる。
心安まる暇が、ない。
私は、その当時・・・どういう選択をすれば・・・良かったんだろう?
罪を憎んで、人を憎まない姿勢、とは?
かのメディスンマンだって、悪のメディスンを操る者と対決はしたが・・・とらえることはしなかった。
何度でも何度でも・・・邪悪さに翻弄される苦しみに・・・同情することだろうか?
(相手が望まなかったら?)
そうすることで邪悪さも・・・正気に・・・戻る・・・?
“あのときは閉じ込めることは悪い選択ではなかった”
“その者の中にある輝けるもの、真の魂のよろこびを”
“・・・共に見つけるために・・・”
“社会の中で育つよきものの種として・・・共に認識するために”
“邪悪さに翻弄される苦しみに巻き込まれることなく”
“共にあることが・・・輝けるものを見出す助けになる”
うーん。
わかったような、わからないような。
それに相手が望まなかったら?
うーん。
今はこんなところ、なのかな?
もうしばらく探究しよう。
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