わたしの鼓動

Nov/2004 

頭のいい私

「頭のいい私」。

いい年して、こういうのいうことが、ものすごい頭悪い。
わかっているけど。
たぶん、書かなきゃいけない。

「頭のいい私」。

とは、私にとって何を意味してきたか、何を意味しているか、をはっきりさせるために。
書くことが、建設的なことなのか、破壊的なことなのか、それすら、もう、私には、わからなくも、あるのだけれど。
でも、結局、たぶん、私は、無意識の部分も、意識でも、書くことを自覚して選択する。

「頭のいい私」
「頭のいい私は何をしても許される」
「頭のいい私を手放したら、母=世界に愛されない、褒められない」

私のずっと奥底にある、歪んだ、信念。私を歪め、人生を歪めている、信念。
もう、手放し、たい。

手放せ、ない/手放せ、なかった。

抵抗しながら、手放し、続ける。それは、苦しい・・・。

「頭のいい私」では、人に近づけない。
「頭のいい私」では、人と一緒にいられない。
「頭のいい私」では、人と一緒に楽しめない。

・・・・・・そう、大切なのは、楽しむことなんだよ・・・・・・。
誰かや、何かと、自分が「違う」ことを恥じて、自分を押しつぶそうとしたり、狂いそうなくらい嫉妬したり、もう、相手をコントロールしようとしちゃう。自動的に、してしまう。その自分を、また、恥じる・・・。それが、次のコントロールへ、と向かう。悪・循環。破壊の循環・・・。

大切なのは、楽しむこと。
違いを楽しむこと。
出会いに感謝すること。


こんなに苦しいのに?
  “ただ、楽しんでいいって知らなかった。それだけ、だよ”
  “楽しむことを嫉妬されて”

嫉妬されたの、かな?
  “されてたんだよ? あなたは気づいていないかもしれないけれど”
  “今だってされているじゃない?”
  “あなたの新しい出会い、新しい冒険にケチをつける、疑いを混入させる”
  “あんな人には、バカにされといて、いいんだよ”
  “あんな人に愛されなくても、楽しいこと、あたたかいこと、いっぱいあるよ?”
  “あれは、コントロールであって、愛じゃ、ない”

愛じゃなかったの?
  “「頭のいいあなた」というレッテルを貼り”
  “その内側のあなたには決して、触れようとしない”
  “あなたをさびしくさせたじゃない?”
  “あなたを人から、人からあなたを遠ざけたじゃない?”
  “人とあたたかつながりが持てるように”
  “あなたをサポートしなかったじゃない?”
  “あれは、愛じゃ、ない”

・・・・・・
  “あなたは、あなたの地獄を解消するために”
  “本当の楽しみを知り、今を楽しむために”
  “うまれてきたんでしょう?”

「人との違いに自分を恥じ消え入らせるか」
「人との違いに自分を同化させようとするか」
「人との違いに壁を作り距離をとるか」

  “そうじゃない何か”
  “あたたかく、楽しく、人とかかわり合うために、生まれてきたんでしょう?”
  “あなたは知らなかっただけ”
  “今から、はじめれば、いいんです”
  “きっと大丈夫”
  “今から、はじめなさい”

自分を恥じて消え入らせるか、同化するなんて図々しくて人にとっても自分にとっても気持ち悪いことするのでもなく、心を開き、ハートを開く・・・。

たぶん、人間にとって、とっても基本的で大切で、ほとんどできて当たり前、のことだったんだろうけど・・・私には、できなかった。できていない場面が多かった・・・。

「頭のいい私」なんていう、傲慢な殻(カラ=空)、が・・・私を私から遠ざけた・・・。

私は何度も殻を脱ぐ。
きっとこれからも。
もしかしたら、かぶっては?脱ぎ、気づいては、脱ぎ、なのかもしれない。

そうして・・・脱ぐと・・・世界は、新鮮。
さり気なく、何気ない日常も・・・。
みんなきれい。みんなあたたかい。うつくしい。
もちろん、冷たく、寒く感じることもあるけれど・・・それも、必要な経験。
納得、できる。味わえ、る。

「頭のいい私」で母(=かつての私=赤ん坊の私の世界のすべて)と取り引きし続けていたのでは、出会えない・・・。
母の世界観=「頭のいい私であれば、なんでもできる」に、何かを保証してもらおう、としていたのでは、決して出会えない・・・。

さり気ない出会いに感謝し、さり気ない日常を楽しむ。楽しみ続ける。

楽しむ私、を生きる。





自我を育む。


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