Nov/2004
私は・・・成功?への道が見出せて、ない。(だけど一体、成功って何だ?)
経済的成功、への、道。裕福!?になること、への、道。まるで、経済的に成功してはいけない、みたいに。私の現状は、どこか隠遁者のような!?感じ。(それがいけないわけじゃ、ないし、それなりに、十分楽しんでは、いるのだけれど・・・そうはいっても・・・)裕福、からは、ほど遠い。
“あなたは、人をよろこばせることしか、価値はないの”
“あなたには、私をよろこばせる価値しか、ないの”。
母からの刷り込み。不安な私が同意した、刷り込み。で、よろこばれること、よろこばせること、に執着する。自分を捨て、(母を)だれかをよろこばせる。私自身がよろこぶことなく、本当にその人がよろこんでいるかどうかなんてわかるわけ、ないのに・・・。
友人には、見えている。友人自身の(経済的)成功への道のり。もちろん、そうなるかどうかは、今はわからないのだけれど。でも、ちゃんと、見えている。(ように感じられる)。
“成功したら・・・お約束通りに・・・社会への還元、社会への貢献、何かいいことのためにお金を使いたい”と、いう。
それが彼の魂をよろこばせる。彼自身をよろこばせる。
そのようすといっしょにいると・・・“美しいものを見せていただいているなあ”と、おもう。私の中の何かが洗い流される。何かが揺さぶられる。
と、同時に思う。
私は?(経済的に)成功した暁には?どうしたい、の?
正直、社会貢献、なんて、頭になかった。ボランティア(里山系)も、したけれど。そのために、成功した自分のお金を使う、なんて、意識したこと、なかった。
おいしいものを食べる。着飾る。生活費を拡大する・・・。それが、自由! それぐらいの頭しか、なかった・・・。
我ながら、なんて安っぽい自由、なんだ。
なさけない。
ひどい。
世俗的!
自己中。
エゴの塊。
・・・それは、私に欠乏感をあおった、母からきた、ビジョン。
“あなたをすてて、私や世間!?をよろこばせれば、お金が得られるわよ?”
“私や世間!?に合わせれば、おいしいものを食べ、きれいなものが着れて、
好きなところに行ける自由とお金が手に入るわよ?”
ううん。もとは、母からきたのかも、しれないけれど、結局は、私がそう思い込んだ、世界観。私が同意した、世界観。私が捨てられずにいた、世界観。
まったくひどい。
はずかしい。
なんて了見の狭い。
なっちゃない。
そうして・・・そんなの、嘘、だ・・・。“自分を捨てて、魂とのつながりを断てば、世俗的に裕福になる、それが自由”、なんて。
楽しむことが、世界を開く、のに。
自分を捨てた自由、なんて、あるはず、ないのに。そんなの、似非(えせ)自由なのに。むなしい自由なのに。
なんだかんだいって、そんなもの、自分が欲しがっていたなんて・・・。
はずかしい。
(経済的に)成功したとき、私は、何が欲しい、のかな? 何がしたい、のかな?
(だいたい成功って何だ!?)
(経済的に)成功して、自分の力で使いきれないだけ、お金が得られるとしたら、私は何がしたい、のかな?
“世界中の子供たちのために何かしたい”
“世界中の子供と子供の心を持つ大人のために”
“なにかしたい”
私の中で、声が聞こえる。
“世界中の子供と子供の心を持つ大人のために何かしたい”
何ができるだろう?
それに、また、“世界中”だなんて。大上段に構えちゃって。
“2つの世界(みち)をつなぐ”
そんな言葉も聞こえるの。
今は、それが何を意味するか、さっぱりわからないけれど。
2つの世界(みち)って? どの世界とどの世界?
みちって?(もしかしたら、生き方? それとも・・・)
だいたい、そんな大それたことなんで、できる基礎も、知識も、もちろん経済力も、人的なネットワーク?も・・・何もないのだけれど。
“世界中の子供と子供の心を持つ大人のために何かしたい”
“2つの世界(みち)をつなぐ”
たぶん、私の、新しい?夢。(あるいは、もともとずっとずっと奥底の方にあった、夢?)
私を活かし、私が生きる、新しい夢。
その中身や実態は・・・今はさっぱりわからないけれど・・・。
人生は長いんだから(たぶん(^_^ゞ)、この夢、言葉があらわれてくれたことに、感謝しつつ・・・。
夢が導き、夢が熟成し、もし、そうなるのなら・・・。(いえ、何も、ならない、のかも知れないけれど・・・)
少しでも何かか現実(うつつ)として・・・あらわれる過程(プロセス)を、楽しもう。
・・・たとえ、小さな、ことでも、ね。最終的にあらわれてくれたものが、世界中でもなんでもなく、ほんの小さなこと、だとしても。
せっかく現れてくれたわけだから。
夢を育もう。
メールお待ちしています angel@makoran.jp