Nov/2002
恨み、なんて、天使らしからぬ言葉なのですが・・・。やっぱり人間でもあるので。わたしもやっと、自分のなかの恨み心を許せるようになった。認められるようになった。私の枠が広がった・・・ということなのだと、思いたい・・・。
そういう訳で、こんなテーマではありますが、しばし、おつきあいを・・・<(_ _)>。
それから、これは“一般的”な話ではなく、道徳観や倫理観や正悪を問う?ような話でもなく、ただ、私に起こっていること、私の主観のみによっているお話、です。
何年か前に婦人科に検診にいって、“卵巣膿腫”が見つかった。“ガンかもしれません”なーんておどかされて、MRIをとったら良性?だった。ホルモンによる治療をしてみて効果がなければ切除しましょう、とお医者いった。で、なんかいやになってその後、お医者にはいっていない。友達の中には、“ちゃんと治療したほうがいいよ、痛むときには急にすごく痛むよ”。といってくれる人も、いる。
お医者もその時、“こんなに大きいと、自分でも圧迫感があるでしょう? 痛むんじゃない?”といっていた。ぜーんぜん。自覚症状はなかった。痛くもかゆくも、ない。
近ごろのストレッチや体操のおかげで・・・以前に比べたら、格段に姿勢がよくなった。(それでも、まだまだ、猫背さんなのですが)。骨盤の位置も、きっと、以前とは違っている。そんな感じ。で、圧迫感がある。“卵巣膿腫”のあるハズ?の位置に。圧迫感。
人の話によると、“卵巣膿腫”の卵巣の中にはいっているのは、血液だったり髪の毛だったり爪だったり。赤ちゃん用に準備していたものが、どういうわけだか、卵巣の中で具現化する。そうなるべきでないところで具現化する。(それは“胎児”とはまったく別なもので、ただ、たとえば“髪の毛組織”だけが成長して卵巣の中にはいっている、らしい)。
私は若いころにはまったく妊娠を望んでいなかった。
“自分ですらもてあましているのに、「赤ちゃん」。冗談でしょ?”
なんか、決着?をつけたかった。納得?したかった。自分の人生に。
友人の中に、“今のままの仕事を続けていては、(将来生まれてくる)子供に、説明できない。誇らしく思えない。「ママはこんなことやっているの」といえるような仕事をしたい”。という人がいた。有能な女性。尊敬している。その友人は望み通りの転職をして現在は2児の母。課長職。
その気持ち、わかるなあ。そうして、言葉通りに生きている友人を、うらやましく、思う。
といっている間に40歳を超える。
・・・・・・・・・
圧迫感のある下腹部に手をやると・・・
“生まれ得ぬものの恨みを知れ”。
ちょっとドスの効いた低い、声。聞こえてくる気が、する。そんなものは気のせいだ。わかっている。
だけれど同時に・・・その声を聞いていると・・・何かがゆるむ気がする。何かがほぐれる気がする。
“ごめんね”という言葉も、やさしいなぐさめも、通用しない。
ただ、聞くしかない。存在を無視されたものの痛み。無視され続けたものの、痛み・・・。
聞くだけでざーざーとエネルギーが流れる。何かが洗い流されるような、エネルギー。どちらかといえば、気持ちのよい?エネルギー。
“うらみごと”なんて、聞くのが怖かった。
ドスの効いた声で、黒い感じの何かが訴える。そのことそのものが、怖い。そんなものが“体内にある”ということが、怖い。見たくない、感じたくない。無視し続ける。無意識に。
ううん。“怖かった”んだ。過去形、なの。今はざーざーと流れるエネルギーにだけ身をゆだねる。まかせられる。感じられる。何も考えずに、流されてゆく、何かに、身をゆだねる。
・・・・・・・・・
私は妊娠したことが、ない。だから・・・そのドスの効いた声で語りかける存在がいわるゆ水子かどうかは、わからない。卵巣膿腫と関係があるかどうかも、わからない。
だけれど・・・もし、私を通して肉体をもって生まれたかったもの、がいるとしたら・・・そうして、私がただただ自分のことに夢中になって自分のことだけにかまけていたとしたら。
“おのれも身体をもって活動したい”。“物理世界と関わりたい”。
“物理世界での温もりを体験したい”。“そうして、何事かを成し遂げたい”。
“おのれの希望を阻んだ(はばんだ)汝(なんじ)。生まれ得ぬものの恨みを知れ”。
肉体をもって生まれたかった存在。私には圧倒的に影響を与えられない。今はドスの効いた声で語りかけることができるとしても。ただただ孤独に待つしか、ない。順番がやってくるのを。気づいてもらえることを。一方的な片思い。なんと無力で哀れな、こと・・・。
“哀れ”なんて表現すると、下腹部の黒い存在は猛り狂う。“無力”なんて表現すると・・・激怒?する。そうしてそれは・・・どうしたって・・・絶望の、嘆き・・・うめき・・・。
私はやっぱり、
“ごめんね。ごめんね。どうしたらいいの? どうしてほしいの?”
と、月並なことを聞くしか、ない。
“おのれを光の世界に帰せ! 生まれてきたら、受けたであろう、賛辞。賞賛。おのれを抱きしめる腕(かいな)の暖かさ。みんな汝が奪った。汝は己の父も奪ったではないか。見つけ得なかったではないか。それは「奪った」も同然だ!!”。
私が下した決断を、“後悔しろ!”と迫る。若いころ、子供は欲しくない、と思っていたそのことを。“後悔しろ!”。もっと別の選択枝もあったのではないか、と。私がつぶしてしまった可能性を。“後悔しろ!”と鋭く迫る。私が見捨ててしまったものを。選ばなかった選択枝を。冷たく切り捨てたことを。“後悔しろ!”と迫る。
“じゃあどうすればよかったの? 私に何ができたっていうの?
何もできなかったのよ。あのときはわからなかったの。私は子供だったのよ。身体は大人だけど・・・私は私を育てるだけで、自分のことだけで、でいっぱいだったのよ。自分が甘えるのにいっぱいいっぱいで、自分を甘やかすのにいっぱいいっぱいで、人のことどころではなかったの。あなたどころでは、なかったのよ。
逆切れ、というよりは、言い訳、というよりは、私の本心。いわれたとおり“冷たい女”・・・だ。
“ごめんなさい”。
“許してね。許されないかもしれないけれど”。
“ごめんなさい”。
“そうして、ね、あなたがいくら私を責めても・・・もう、取り戻せないの。時間は。流れてしまっている、の。もう。取り戻せない。あなたをそのままの形で生んであげることは、できない、の。あなたが欲しかったものを、そのまま形にすることは、できないの”。
“だから、せめて・・・あなたが光の世界に帰れるように、祈らせて。
祈らせてください。お願いだから。それで、勘弁してください・・・”。
・・・あー。情けない。自分がこんなに何かを無視していようとは。大切なものを受け取っていなかったとは。大切なものを(自分がもっていたものを)分かち合っていなかったとは。あー。情けない。
“勘弁してください”。逃げの言葉、だ。降参、の言葉。あなたとは関わりたくない。これでちゃらにしてください。逃げの言葉。あー情けない。
“与える痛み”。
そんな言葉が浮かんでくる。
“与える痛みを乗り越えて、与える”。
それが出産。いのちを与える、こと。
与えるものじゃないのかもしれないけれど。
それがなければ、生まれ得ない訳だから。
“与える痛み”。
“与える痛みを乗り越えて、与える”覚悟が私にあるだろうか?
“生まれ得ぬものの恨みを知れ”。
“与える痛みを乗り越えて、与えよ”と。迫りくる。
“覚悟を培(つちか)え”と、迫りくる。
そんな覚悟ができるのだろうか?
“与える痛みを乗り越えて、与える”覚悟。
“上っ面な祈りなど、いらない。上っ面な謝罪などいらない”。
“生まれ得ぬものの恨みを知れ”。
“与える痛みを乗り越えて、与えよ”。
まだ、わからないのだけれど・・・。
きっと、逃げてばかりはいられない。
いつかは?引き受ける?、こと?・・・。
どんなふうに引き受けるのかは、わからないのだけれど・・・。
仕方が、ない。
今は・・・ざーざーと流れるエネルギーに身をゆだね、
“生まれ得ぬものの恨みを知れ”。
“与える痛みを乗り越えて、与えよ”。
という言葉とともに、いる。
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