わたしの鼓動

Oct/2003 

インナーチャイルド

インナーチャイルド=内なる子供。

人の心の中に住む、子供の部分。子供ごころ。

ある日突然、幸せ感、が舞い込む。
ぜーんぜん、何事もない日常、なのに。
あたたかく、うれしい。

本当に出会いたい人に出会った感じ。
心満たされる。

小さな利発そうな、マサコちゃん。小学校の2年生ぐらい、かな。
大人のまこらんの肩の上で遊ぶ。まこらん登りするお転婆さんだ。

インナーチャイルドは丹田にいるって人もいる。
私の場合は、胸にいるんだなあ〜って思う。
姿勢に気をつけて、呼吸する。
ゆっくりと肋骨が開く。固まっていた横隔膜をやわらげる。
胸腺(免疫をつかさどる臓器。心臓より肋骨側、より体表に近い方に、ある)が働き出す。
免疫=物質、細胞、ミクロレベルでの私らしさ。
姿勢=対自分、対人、対社会、対宇宙、マクロレベルでの私らしさ。
連動しているって思う。

何年もかけて探究していることがゆっくり実る。
ゆっくり、現れる。

マサコちゃんは居場所を見つけてもらってしあわせそう。
ぷくぷくのほっぺ。ぷくぷくの笑顔。

“さびしかったの、さびしかったの、さびしかったの”。
“一人じゃなかったけど、一人だったの”
“あれしろ、これしろっていわれるのが嫌いなの”
“そういうのは、怖いの”
“怖いっていえなかったの”
“怖いっていってもわかってもらえなかったの”
“自分がなくなっちゃいそうで怖かったの”
“だからずっと一人だったの”

自分の本質に関わるあらゆる刺激が、必要以上に?強く?感じられる。
痛く、感じられる。
だから・・・自分から、逃げまくる。
何かから・・・逃げまくる・・・。
だけど、もう、逃げ切れ、ない。
結局どちらに行っても、痛むのは、変わらない。
それなら、私自身が納得する方向に進むしか、ない。
私自身が納得するように、在るしか、ない。
私自身が納得する方向を向いているしか、ない。

本質の痛み。逃げられない痛み。遅ればせながら・・・引き受けたい、と思う。
引き受けて、生きていく。

そうか・・・。私は、そういう性質を持って生まれてきたわけ、だ。
その面倒は・・・基本的には、私にしか、みることはできない。

そうして・・・子供の私の笑顔は太陽のように輝いている。

マサコちゃんは私にどう生きてほしいんだろう?
私はどう生きるんだろう?

そんなことは、わからない。
後悔はしないように。
思いっきり?生きる、だけだ。

“あれしろ、これしろ、と、いわれるのが怖いの”
   “じゃあ、どうしたいの?”
“わからない、思いつかない”

これだもの・・・。(子供ってやつは・・・(^_^ゞ)

これじゃあ、おもいっきり、なんて、生きられない、よ。

うん、あまりに痛いから・・・そろそろと・・・生きてゆく・・・。
何をしたいかもわからないから・・・やっぱり・・・そろそろと・・・生きてゆく・・・。
(ああカッコわるい、情けない(^_^ゞ)

そうして、やっぱり、何かに思いっきり情熱を傾けたい、という気持ちも、ある。
(は〜、いまだに思春期、青年期、ですね・・・、でも、まあしょうがない。それが、私・・・)
方向があっているか(魂が喜ぶ方向に向かっているか、魂が満足する方向に向かっているか)、
そうでないかは・・・きっと、その都度、わかるのだろう。

うん。私が私をゆっくり、生きる。






そう、そんなふうに、何をしたいかわからない、のが、子供。

それは・・・子供、に権限委譲していない、から。
結局は親=大人の意向通りになるのだ、と悟っているから。
親=大人が、自分のことでいっぱいいっぱい、だから。
親=大人が、自分の希望を十分に満たしていない、から。

・・・そこまでは、わかっているのですが・・・。


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