わたしの鼓動

Oct/2003 

なかま

私はね、すっと立っているのが、難しかった。

なにかしらにずっと寄りかかっていた。寄りかかるものが何もない、のには、たえられなかった。

寄っかかれるものを探しては、次々に捨てていったの。あるいは、捨てられていったの。

寄りかかるもの、“これだー”と思う。
“まさにこれを探していた”と思う。

それは、恋、であったり、仕事、であったり、人間関係、であったり、本や瞑想や食事や何かを作ること。ボランティア。そんなもの、にまで、寄りかかる。
“私は恋”や“私は仕事”や“私は作ること”を、生きてしまう。

世間?にも、自分にも。“私は○○”と、言いくるめる。

すばらしい刺激。すばらしい満足感。

すばらしい仮面。

だけど、それは・・・結局は“相手次第”なもの、なので。

長続きは、しない、んだ。

所詮は、仮面。

そうして・・・。
また、さがす。
寄っかかるもの、を。


本当は、“私は私”なのであって、“私は恋”でも、“私は仕事”でも、“私は作ること”でも、ない。
もしかしたら、“私は私”ですら、ないのかもしれない。


私は・・・きっと私を超えて・・・さらに超えて・・・
見えない宇宙のはてまで含んで・・・
さわれぬ時間のはてまで含んで・・・
きっと、どこまでも、どこまでも、やっぱり私であって・・・
私でなく・・・
地球の、今、ここ、にいる、それが、私・・・



寄りかからずに、生きる。
寄りかからずに、いる。

それは、不安。それは、危なっかしい。
毎瞬毎瞬、確かめたく、なる。
毎瞬毎瞬、寄りかかりたく、なる。


・・・・・・
でも、まあ、あんまり、以前よりは、よりかからなくなってきた。

・・・・・・

そうすると出てきたのが、“失敗が怖い”、だ。

そりゃ、失敗は、しないに越したことは、ない。
だけど、まるっきり失敗しないことも、また、人間は・・・できない・・・。

ようは、失敗と、どう生きるか、なんだよね。

失敗を無視したり、ごまかしたり、そんなこと、したく、ない。

失敗に誠実に、対処、する。
もし、迷惑をかけたのなら、誠実に謝り、その時々でふさわしい対処をする。時には何かをつぐなう。つぐないきれない、としても。迷惑をかけた相手の痛みとともにいることは、できるかも、しれない。(ううん、それが一番難しい。私はどうしても自分の痛みに目がいってしまう。ううん、いつもいつも自分の痛みばかりにかまけて、来た)

失敗から、学ぶ。

私の、失敗。

そう、失敗から学べるのは、基本的には、失敗した、本人だけ、なんだよね。

そう考えたら、失敗は、貴重な資源。

・・・・・・

仲間、はね。

今の私にとっては、“失敗を許してくれる”人達、なのかもしれない。

未熟なことも承知な上で。その時々で、いろんなレベルで、私と関わってくれる。私も関わる。

すっと立って。

自分の責任を引き受ける。

そうすると・・・許してくれている懐の広さや、許してくれている愛情が、心にしみる。

そう、何もいわなくても。

ただ、いて、許してくれていることが、とてもとても、うれしい。

“ごめんね”とか“ありがとう”とか。

そういう言葉すらも。

もしかしたら、私は寄りかかりに。
使っていたのかもしれない。ずっと、長い間・・・。

ただ、お互い同士、“すっと立って”、ただ、相手がいることを、相手の存在を、静かに喜ぶ。

ありがとう。

知らなかった。

ありがとう。
 





またまた、何をいっているかわからないことを書いてしまって・・・
読んでくださってありがとうございます。


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