わたしの鼓動

Oct/2003 

意識の光

人の意識。

時に攻撃とも感じられるような、圧倒的なエネルギー。

その性質が、私にはよく分からなくて。
気まぐれに翻弄されるような気がして。
時に痛くって、人の意識から、逃げていたかった・・・。
(なんて痛がりで、逃げたがりで、弱虫だったんだろう・・・)


だけど・・・人の意識は、ただ、そこにある、集中のサーチライトのようなもので。面や立体ではなく、点の光のようなもので。指向性を持つ、サーチライトのようなもので、その人が集中したい何かを照らしている。

ただそれだけのこと、だったんだ。

どんなに意識の光が痛くても、
私たち人類から、まるっきり、“意識の光がなくなる”ことはあり得ない。
それは結局“心をなくす”ことだ。

そんなことを期待しても、始まらない。

人、一人にひとつずつある、意識の光。
(意識の光とは別に、魂の光あるいはいのちの炎も、ある)。

意識の光ととものあるプロセスが、その人のメインのプロセス。

意識の光から遠くにあって、動いているプロセスが、その人の影のプロセス。

私はもしかしたら、その人の意識の光が動く方向と同じ方向を見なければと、(その人が見せたいものを)一生懸命だったのかもしれない。
だけど、それは、疲れ、ちゃう。
そうして、たぶん、真実、から、離れ、ちゃう。

本当は、その人全体は。無意識をも含む、その人全体は。その人のありのままは、意識の光が動く方向が見せてくれるものとは、ちょっと違うのかもしれないね。

自分がありのままでいて、その人もありのままでいる。

その人の意識の光が見せるのではないその人を見ても、いい。

私の意識の光が見せたいものでない私がみえても、いい。

愛情も。冷たさも。あたたかさも。攻撃も。

意識の光を通して“行動”になって現れる。現実、を形作る。

意識の光、が、私たちが、“自分”と認識する自我、そのもの。

だから、“意識”ばかりに目が向いてしまうけど、本当は、膨大な無意識をも含んで、私そのもの、その人そのもの、なんだ、ね。

意識の光は、“私”と“それ以外”を結ぶ接点。

“思考”は、意識の光が紡ぐ、新しい、“道筋”、“軌跡”。

“感情”は、意識の光が味わう、“心の動き”の総体。

“私”でない、“それ以外”には、私の身体の“感覚”、も、どこかわからないところからくる“直感”、も、他の人の意識や意識同士がつながる場(人や社会、人間関係)も、私の身体を維持している場(自然や地球環境)、も、全部入っている。

意識の光は、“私”と“それ以外”を結ぶ接点。

意識の光を通してしか、私たちは、私達以外のものとは、つながれないんだ・・・。

ううん、実質的には、つながっているのかもしれないけど、意識の光を通してしか、“つながっている実感”が持てないんだ。あるいは、持ちにくいんだ・・・。

なんて不思議。

子供達が、他の人とつながれるよう、意識の場=社会とつながれるよう、他の人の意識の光に自分の意識の光をあわせて接点を持つこと、を学ぶ。
子供の、まだ、ぼんやり焦点の定まっていない、ぼやけた意識の光が、しっかりと焦点を結ぶように育ってゆく。焦点が定まった意識の光が、しっかりと何かとつながる方法を学んでいく。

他の人、親、学校の意図に、あわせることを学ぶ。親、学校、社会が見せたいもの、意識の光が照らし出すもの、その動きに、あわせなさい、と、教え込む・・・。
あわせられないものは、“落ちこぼれ”、“落ちこぼし”に、してしまう。

だけど、本当は、それでは、まだ、真実の半分しか、教えて、いない。
本当は、意識の光をつなぎたいものにつなげ、つながりたくないものにはつなげなくていい、ことを学ばなければ。

意識の光は、“つながりを探す”指向性を持っているので・・・。“つながりたい欲求”を持っているので・・・。
“つながる意志”を持ったものが近づくと、簡単につながってしまう。
その意志が見せたいものを見てしまう。簡単に言いなり、になってしまう。
真実から離れてしまう。
そんなぜい弱さ、を、持っている・・・。

人が、十全に生きるため、には、つながる方法と、つながりをはずす、つながらずに済ませる方法と、両方を学ばなければ。いけないんだ・・・。

きっと瞑想は・・・。
いつもいつもつながって、自分の意識の光が振り回されているものから、離れて、別のものにつながるための・・・方法なんだね・・・。
もっと、豊かに生きるために・・・。

普段、意識を傾けていない、何かにつながる方法。
普段、意識を傾けていないけど、大切な何かにつながる方法。

意識の光が振り回されているものから離れて、見えてくる全体像。

その大切さ。

意識の光同士をつなげることとともに、そこから離れる技術。
離れた上で認識できる何かを、大切にする技術。
普段繋がっていない何かと繋がる技術。
そうして・・・そこからもまた、離れる自由=技術。

うん。そういったものを、求めている。
人類、社会が成熟していく上で、どうしても、どうしても、求めている。

繋がったり離れたりする、自由を生きる、技術。

そういう技術に対する学びを社会が求めて?いる、求められ?ている。

私は、どうしても、そう思う。

そんな気がする・・・。







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