わたしの鼓動

Oct/2004 

秘密の重さ

“ええ〜、こんなことがこんなに秘密で、私には重いことだったんだ〜”
と・・・最近、気がつくことが、あった。

子供の私が泣いている。
“パパもママも頼りにならない”。
“どうしていいか、わからない”。
“話せない。これがあっても、いいことにしているの”。
“だけど、本当にいいことかどうか、はっきりしない、の。わからない、の”。
ええ〜ん、と、しくしく、と。泣いている。

いいことか、悪いことか、わからなくて、そうして、手放せない。
人に、話せない。

いえ、犯罪、じゃ、ないです。
道徳的にいけないことでも、たぶん、ない、です。

だけど・・・
“人に話せない”、という感覚が、重い。
“パパもママも頼りにならない”、“たとえ、答えを知らなくても、一緒に考えてくれる人たち”と、思えないことが、重い。

自分流に、その場、その場で、心を処理する。

うん。自信のある大人は、それをしていい。誇れる自分になれる、なら。どんどん自分流で、その場、その場で、心でも、人間関係でも、仕事でも、趣味でも、したいようにすればいい。 その結果が、誇りとなるなら。どんな結果でも、満足できるなら。そうして、何かが開かれる、なら。運命、や、出会う人たちや、現れるもの、事柄が・・・、開いてゆくなら。ワクワクや、希望が・・・どんどん湧いて、くるなら。

だけど、あまりに幼いうちは・・・重すぎたり、誤解したり、“秘密”がその子を苦しめる。 誇れる自分、に・・・なりきら、ない。なりきれ、ない。

“そう、秘密を抱えているのは・・・重かったね”。大人の私が、子供の私に、伝える。
今までは、子供の私に巻き込まれていたの、大人の
私が。
やっと、“重かったね”といえるようになれた。
私も、少し、成長したんだ。

子供の私は、はじめて、“重かったね”と、言葉をかけられる。
やっと、“それが重かったんだ”と、自覚する。それまで、その秘密が重かったなんて、わからなかった。その件で、母や父が頼りにならない、と見抜いていたとは。彼らを困らせたくなかった、彼らの乱暴な言動から、自分を守るために、余計に秘密に苦しんでいたとは・・・。ぜーんぜん、自覚がなかった・・・。
“どうしていいかわからないんだね、私もわからないんだけど・・・あなたが悪いわけじゃない、よ、一緒に考えようね・・・”と、これまた、ちょっぴり、頼りにならなげな大人(=大人の私)ではあるけれど・・・はじめて、まともな大人に・・・困っていることを困っていることとして、扱ってくれる大人に・・・出会えた感じ・・・がしている・・・。
やっと、この件で泣けるスペースが生まれる。
やっと、泣けた・・・。
やっと、重荷が、少し、おろせた・・・。

ただ、偶然に発見したことが・・・どんどん、大きな重荷に、なる。
最初は、その発見と遊ぶ?余裕があっても・・・どんどん、エスカレート、する。

そうして、私は、どこか?で、何か?と、取り引き、する。
その秘密を抱えておくため?に。
その秘密をオープンにして、痛みと共に手放すことにならない?ように。

その取り引きの内容は、ね、“自分の好きなことのために、相手に言いなりになる”、“自分の好きな人に見捨てられないように言いなりになる”、ということだった。

ええー。そんなこと、してたのか。

根深い取り引き、だ。

誰と取り引きしたんだろう?

なぜか、“母”という言葉が、浮かんでくる。

“自分の好きなことをするために、自分の好きなものを得るために、相手に言いなりになる”。
“自分の好きな人に見捨てられないように言いなりになる”。

それでは、幸せには、なれないなあ。

自分の好きなものは好きなもの、であって、相手の言いなりになる必要はない。
自分が好きな人に愛してもらうために、言いなりになんか、なる必要は、ない。

そんな簡単なことが、心の奥底では、私は、わかってなかったんだ・・・。

まるで当たり前のように・・・自分を明け渡してしまう。
そうしては、いけない相手に。自分をさし出してしまう。
自分の望む関係を得るために。
取り引きの、毎日・・・。

それでは、自分という人が、わからなくなってしまう・・・。
エネルギーが枯渇、する。

あるいは、怒り、がたまる。
“私は、こんなに、相手にあわせているのに!!”

相手が、私の望むとおりになるとは限らない、私が望むとおりに動くとは、限らない・・・。

なのに、それしか、人間関係の築き方が、わからない・・・。

なんて、情けないことだったろう?
なんて、さびしいことだったろう?

さびしくて、さびしくて、泣いている。

取り引きし続けているのに、駆け引き、すら、できない。
自分がないから。見失っているから。よって立つところ、がないから。

駆け引き、なんて、大人の持つ、高等技術は、使えない/使えなかった・・・。

そーかー。私って、そんなに、大人の部分がぐずぐずのゆるゆるで、相手に譲ってしまっていたんだ。そこまで、相手にあわせていたんだ。
あるいは、壁を強固に築いて、何かを粧って、守ってたんだ・・・。

本当に、なんて、さびしいことだったろう?
それは、なんて、疲れることだったろう?

・・・・・・

もう、私が、望まない相手に、あわせる必要は、ない。

いくら、相手が好きだから、といって。
私に好きな何かがあるから、といって。

もう、私が、そうしようと望まない相手に、あわせる必要は、ないんだ・・・。

・・・・・・

そうすると、何かが変わる。

体験に心開いて、なかったことに気がつくと・・・。

体験に心開くとは、何か、に気がつく。

人がいて、様々なエネルギーを発していることに、気がつく。

それは、強烈な体験だ。
今まで、心開いていなかった人からしたら。

モノクロが、カラーになった感じ。
エネルギーが押し寄せる感じ。
いろんな色をしたエネルギーが。

様々な人が、様々に発するエネルギー。
それを、私の身体?オーラ?5感?6感で、立体的?に?キャッチ、する。

“うわー、色?エネルギー?の洪水、だ”。

私は、心開いて、ただ、それを感じる。

私、という主体をなくす必要は、ない。

むしろ・・・私、という主体があるからこそ、味わえ、る。
私、という主体があるからこそ、自身のエネルギーの変化にも、気がつく。

そう、人と関わるって、そんなふうに、自分のエネルギーも、たちまちに変化する、体験、なんだね・・・。

自分の変化を緩やかに受け入れる。
(たとえ強烈な変化、だとしても・・・自分をなくす、必要は、ない)

相手のありよう、エネルギーを穏やかに、受け入れる・・・。

そうか、それは、ただ、立体的で、感触もともなう絵を見るような、体験、でも、あるんだね・・・。
(うーん、うまく、伝わる、かな?)

体験に心、開く・・・。

シナリオなんて、ないし、もたなくて、いい。

ただ、現れるもの、に、心開く。
現れたもの、を、味わう。
3次元の世界にふさわしいように、対処も、する。
(それが本当に難しかった、私には、シナリオ、仮面、粧い、が必要だった・・・)
(だけど、それは、内側の私、が知っていて、基本的には、その私がしたいようにさせてあげれば、その場、その場で、現れるもの、なんだね・・・きっと・・・)
味わいたくなければ、その時、閉じれば、いい。
最初から、閉じておくのでは、なくて、ね。

うん。言葉にすると、当たり前のことばかりなんだけど・・・。

わからなかった、知らなかった・・・。

私は、私の内側から現れるものを大切にして、それを生きていいんだ・・・ね・・・。
私は、私の内側から現れるものを大切にして、それをつらぬいていいんだ・・・そうしたいときには、ね・・・。

自信の、基礎・・・。

強烈?に感じられる体験に心を開き・・・
(いえ、実際には、なんてことない、日常の一コマかも知れませんが・・・(^_^ゞ
本当に、遅ればせ、ではありますが・・・(^_^ゞ・・・)

“今ここ”を、生きる。









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