わたしの鼓動

Sep/2001 

テロリズム その1

 9月11日の出来事。え!?と思うような映像。まるで映画のCGのような。繰り返し放映され、繰り返し見ずにはいられない。何が起こったのかわからないような。見ているんだけど、見ていないような。そんな映像。
 そうしているうちに。ビルが崩れはじめる。見る見るうちに。全壊する。窓から飛び降りる人々も。映っていた。痛ましい。痛々しい。失われたたくさんのいのち。痛々しい。残された人々の、悲しみ。
 それから。がれきの山の撤去作業。行方不明の人々。救助活動。アメリカの株式市場は一時休場し、飛行機も飛ばなくなった。
 それから。テロ集団と首謀者の特定。報復攻撃の報道。・・・。だんだんと日常生活は戻ってくるとしても。もう決して元には戻らない何かがある、という感覚(それは失った悲しみでもあり、何かが芽生えているという。かすかな希望も、私には、ある)。
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 この地球で起こっていることのほんの一部しか、私は知らない。ほんの一部しか、リアル、に感じることは、出来ない。それはある程度は、しょうがない。人間としての。限界、だ。
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 暴力は。力づくでいのちを断ち切ることは。どうしたって、悲しみを生み出すのだ。“許されない”と表現したくなる、“あってはならない”ことなのだ。どうしても。私にとっては。“あってはならない”。(そうしてきっと。私以外の多くの人にとっても)。
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 一方で。“ああまでせねば、表わせない、現わせない、顕わせない何かがある”。と。“私が知らずにいて、この地球で起こっていることがあるのだ、今こそ、ちゃんと受け取れ、目を向けろ”。と。教えてくれてもいるような気もしている。
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 なくなった方たちのいのちの重み。

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新しい形?のテロ。社会悪。病理。Disease.

まるで、すべての病気に打ち勝ったような気分でいたときに。
現われたウイルス のように。
世界を震撼させる。

攻撃されたのは2棟なのに。
次々に倒壊するビル。
脆弱でないはずのものが、脆弱さを露呈する。

失われたいのち、そして、つながりを、絆を、ある時間を共にしていた
人々のことを思うと胸が痛む。
救助活動をしている人々や。“復興”に頭を悩ませている人々。
被災した人々。・・・沈みこむような、気分・・・。
同じ地球に生きるものとして。同時代を生きるものとして。
気が滅入るような、惨事。

災害の後に降る雨が・・・
“これはあったこと、起こったことだ”と。つげている。

戦争は望まない。

だけど。もしかしたら。

アフガンという土地は、中央アジアは。
“注目”は求めているのかもしれない。

20年間もの絶え間ない争いと、疲労と、出口の見えない、“何かが間違っている”感覚。

“ここに解けない、パズルがある。お手上げ。誰か助けて”と。

アフガンの何かが・・・世界中に向けて・・・発信している。

だからある意味、アメリカは、それに応えている。
(だけど、武力や攻撃、という関心の寄せ方は最悪だ)

自尊心を取り戻すこと。
“自分が感じていることがこれでいい”と確信できること。
その感覚に基づいて、一人一人が、幸せを求めてゆくこと、行動すること。
深い自尊心を取り戻す。

それは今の地球全体の、人類全体のテーマ。

そうゆう援助を求めている。
アフガンという土地も。中央アジアも。
(わたしにはどうしても。そんなふうに感じられる)

世界中にとってもすぐには解けない?、謎々。パズル。

だからこそ、解く甲斐がある。
解き続ける、甲斐がある。


ああ、だけど。事態はどんどん進んでしまい。謎々だなんて。悠長なことはいっていられないほど、だ。地球で苦しみが生まれている(かつても生まれていたし、今も生まれているし、もしかしたら、これからだって、生まれ続ける、ものなのかもしれないけれど)。だけど、それがもし、そこまで苦しむ必要がないような苦しさならば? 私は、何が出来る?


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