都内某所。
・・・というと・・・あやしい感じもするけれども・・・。
ちっともあやしくない。
都内某所で、待ち合わせを、する。どうしても借りる必要のあるもの、を貸してくださるという親切な友人の都合にあわせて。都内某所で、待ち合わせる。
私が中学の時から、ううん、小学校のときから、通学、というか、塾通い、でも使っていた、JRの駅(当時は、国鉄、ね)の改札、で。待ち合わせをする。
・・・・・・
通学・・・に使っていたのは・・・それはもう、30年も前、のこと。
30年!!
その言葉の?時間の?重みと、意外な軽さ、に、驚いてしまう。
待ち合わせの時間に電話をすると、その方はまだ自宅、とのこと。小一時間の、余分?な時間。
偶然のようで・・・偶然で、ない、こと・・・。
そりゃ、30年もたてば、景色は変わる。
・・・そうして、案外、変わらなくも、ある。
変わらないものの筆頭は、香り、だった。
谷底のような場所を走るJR。
周囲の道路は、車のとおりも激しいけれども・・・桜の青葉の美しい土手もある。都心でありながら、かなりの緑も残っている。
“そうそう、梅雨の、この季節は、こんな香りがするんだった・・・”。
たちまち、記憶を呼び覚まされる。
桜の葉の香りではないのだけれど・・・香りのいい花、が咲いているような。
小さな白い花、の、蜜の香り。
梅雨の時期の、湿った土と電車内の湿気と若葉とそこはかとない甘い蜜のまざった独特の香り・・・。
“なにも変わっていない”。
たちまち、感傷に浸る。
(我ながら便利??な、性格。こんなふうに簡単に、時間つぶしができる。こんなふうに簡単に、過去にさかのぼる時間の旅、ができる・・・)
“お茶でも飲んでいて”と友人はいったけど・・・。
土手を歩いた。
中学受験の準備をしていた小学生の頃に歩いた土手。
“あこがれの中学校”への受験を控えていた、冬。
受験には自信があったけど、だけど、やっぱり、落ちつかない、不安な感じもあった、12歳の冬。
それから“あこがれの”中学。
新しい友人。電車通学。自由になるおこづかい。
クラブ活動。
周りの私立の他校はみんな制服があったけど・・・。
私がいった学校には制服はなかった。“自由な校風”がウリ、だった。
賛美歌。合唱。あかるい校舎。元気のいい女子生徒、たち。
校庭に広がる、自分を含めた、中学生たちの、甲高い、歓声。
駅から学校までは10分以上ある。今とは違って戸建てのお屋敷が多かった。使われていない様子のお屋敷にも風情があった。それから、会社のオフィス風のビ ル。今みたいな立派なビル、じゃない。3階~5階建て位の、小さな、ビル、だ。もう、それは、私の、それから、その当時を知っている人達の記憶の中にし か、ない。
JRの駅はもっと木材を多く使った素朴な小さな感じの駅だった。
冷房の電車は少なくって、夏の満員電車は本当に暑かった・・・。
もし、今の年齢の私が、中学にはいったばかりの私の姿を・・・そのJRの駅で見かけたら・・・。
中3でも、高1でも・・・大学受験を控えた高3のときの私をもし見かけたら・・・。
今の私は、どうする、だろう?
ああ・・・。
中1の私。
中1の私は前だけを見て。歩いている。
なにかに自分を当てはめよう、当てはめよう、として・・・頑張っている。
受験が終わった解放感、にもっと浸ってもよかったのに・・・。
もっとまわりを、ぼんやりと眺めてすごす時間をもってもよかったのに・・・。
そうしなかった。
“先”のことを考えていた。
考えてもしょうがないような、将来、のこと。
今の私には・・・。
そんなすごし方は・・・もう苦しくて、できない。
もっと、はみだしてもいいのに。
はみだしてはいけない、とおもっている。
土手を歩いていても。周りの緑を見ていない。
その場所にいるのに・・・。
香りをかいだり、木々や葉をよく見る余裕が、ない。
うわのそら。
うわすべり。
・・・・・・。
“自分を何かに当てはめなくていいのよ”。
“もっとぼんやりすごして、いいのよ?”。
“電車や、もっと他の何かに、乗り遅れたっていいし、あなたが納得いくように、いくらでも、ぼんやりすごしていいのよ?”
“もっと、もっと、空想の世界に浸ったり、もっともっと、不器用に生きても、いいのよ?”
“多少、わけがわからなくても、多少、危険であっても・・・
あなたは、ちゃんと自分の身が守れるから・・・興味を引かれたものや、ことがらや、人と・・・ もっともっと、そうしたい、と思うだけ、関わってもいいのよ?”
“誰かのためではなく、もっと自分のために・・・いきいきすごしていいのよ?”
・・・・・・・・・・・・
だけど・・・。
そんなことをいってくれる人は、誰もいなかった・・・。
肝心なことには、何も関わらなかった。
自分とも。人とも。ことがら、とも。
・・・・・・
なんて寂しいこと、だろう。
・・・・・・
“自分を何かに当てはめる”ことに・・・いそがしかった。
“あこがれの中学”に“当てはまった=合格した”、ように。
・・・・・・
“何ものかになれる”と思っていた。
“世間の人=母と父”が認めるような“何ものか”、に。
・・・・・・
そんなものになっても、しょうがない、のに。
・・・・・・
“なにものかになんて、ならなくて、いい”。
・・・今の私なら、絶対、そういう。
中学生の私の手をとって。
前しか見ていない、先をとにかく急ぐ様子の中学生の私の手をとって。
“こちらを向いて!”。
“今のあなたの耳にははいらないかもしれないけれど・・・。
今あなたの見ているものだけが、世界、じゃない。
今あなたの聞こうとしているものだけが、世界の音、じゃない。
薄々気がついていると思うけど・・・それじゃ、こぼれ落ちてしまうもの・・・たくさんある。肝心なことすらも・・・抜け落ちている、の・・・。
あなたの生きようとしている人生だって、素晴しいものかもしれないけれど・・・
本当の人生は、その後、から、はじまる、の。
本当の冒険は、“自分を何かに当てはめよう”としているときには、はじまらない、の。
あなたはちゃんと、冒険のできる、人。
知っていて。
世界はそんなに危険なところじゃ、ない。
なにかにあてはまらなくたって・・・ちゃんと、生きていける。
いつでも、あなたの敷いたレールは降りれるの、よ。
そこからはじまる冒険を・・・。
私とはじめましょう。
私はいつまでも、待っているから”。
・・・・・・
私は空想する。
今の私がいうことを、理解し、聞き入れた、中学生の私を・・・。
・・・
ううん、私は、そんなに強く、ない。
それに、そんな理解力も・・・その時の私には、ない・・・。
・・・・・・・・・
たとえ、中学生の私が・・・今の私がいうことを、理解し、聞き入れたとしても・・・。
いったい、どうなっていたこと、か。
もし、わたしが学校へいったり、いかなかったり。
いっても、授業をサボって土手を気ままに歩いていたら・・・。
周りにあるもの、木々の緑と・・・
納得するまで、一緒にいるようにしたら・・・。
自分の空想と、とことん一緒にいるようにしたら・・・。
ただただ、ぼんやり、と、すごしたら・・・。
母は半狂乱、になるだろう。
“真佐子はあんなにいい子だったのに。
何でも、できる、何にでもなれる子だったのに”。
父も、わけがわからず、私を非難するだけだろう。
落ちついて、引きこもることすら、できない。
落ちついて、自分自身と一緒にいることすら、できない。
引きこもるだけの強さが・・・
強烈に自分と一緒にいよう、とする欲が・・・
その時の私には・・・なかった・・・。
・・・・・・・・・・・・
中学生の自分が、そんなふうにふらふらぼんやりすごすには・・・
都会の環境は・・・ううん、田舎であっても・・・
きっと、危険すぎたのだ・・・
いのちや、様々なことにつけ入れられてしまう、危険。
・・・・・・・・・・・・
そうして次善の策、として。
より安全?に生き延びるために・・・。
わたしは、母の夢、と、父の夢、を生きた。
そう、母と父の夢を生きていた、自分。
“数学”を見つけ、工学部、を見つけ、大学院、を見つけ、自分を当てはめた。
そのために、そのためだけに・・・懸命に努力、した・・・。
それは、たしかに自分が見つけた自分の夢でもあったけど・・・
やぱり、それは・・・
他者=父母の夢を懸命に生きようとしたからこそ、現われた、自分の、夢。
・・・・・・・・・・・・
何かになって欲しい、と願っていた母。
“この子の才能は、きっと何かになって世に出るような、才能だから”。
“いったい何になるんだろう?何にふさわしいかしら”。
母は母らしい“親バカ”ぶりを発揮して・・・想像する。
そんなふうにしか、娘を受け入れられない。
自分と違う感性や能力をもった娘を、“何かに当てはめず”には、受け入れられない。
ただ、そのままの“娘”といることは・・・
母には難しかった。脅かされるような、恐ろしさ。
“誰かの自由は誰かを傷つける”。
そんなルールの中を生きていた、母。
能力や美点を“何かに当てはめる”“利用価値”として・・・
認識していた母。
そうして母は、母の父に利用されていた。
“利用価値”?として、存在していた・・・。
(↑これは、私の想像。だけど・・・きっと、あたってる・・・)
・・・・・・・・・
少女の頃の母は・・・
本当に美人。
大輪の花が咲いたよう。
そうして、めちゃめちゃな怒りを発する少女=母。
5人兄弟の真ん中で、多くの住み込みの従業員のいる中で育った母。
いつまでも、役にたたない中途半端な“ちび”の母。
(母の姉は、よく家業を手伝ったらしい)。
(母より小さい兄弟たちは・・・あまりにも小さすぎて・・・ かえって親の目が、届く・・・)
どうでもいいことにも・・・
どうでもいいことほど・・・
むちゃくちゃな自己主張をし、存在をアピールする=母。
いまでも母の相手をするのは“100人の人を相手にしているみたい”に疲れる・・・。
裸一貫で田舎から出て来て、区会議員にまでなった祖父。
その祖父が母にいった台詞・・・
“おまえは黙っていろ”。
“そうすれれば、まともにみえる”。
(実際には・・・たぶん祖父がいったであろう、私の想像の中の・・・台詞)
美人の母を医者か弁護士か高級役人に嫁がせたかった祖父。
美人の母を自分の見栄、に利用したかった、祖父。
“苦労のないおまえに何がわかる”。
“いわれた通りにしていればいい”。
・・・・・・祖父もまた・・・
懸命に生きた人の一人であることは間違いないとしても・・・
“苦労のないおまえに何がわかる”。
“いわれた通りにしていればいい”。
なんと残酷な言葉だろう?
・・・・・・
ううん、母は、そんなこと、いわないのだけど・・・
上の祖父の様子は・・・私の想像にしか、過ぎないのだけれど・・・
母は自分の運命を受け入れ、納得して生きたとしても・・・
その運命を、そのまま私に、垂れ流し続けた・・・。
“利用価値”として、子供を見る、母。
苦しかった。
祖父は祖父なりに母の幸せを願った。
母は母なりに私の幸せを願った。
その願いが、その願い方が・・・子供である私を苦しめた。
なんという擦れ違い。何という寂しさ・・・。
“人間”という形にどうしても生まれてくる寂しさ・・・。
(そんなふうに感じてしまう・・・)
・・・・・・
中学生の私は・・・
気の弱そうな、それでいて、何だか、厚かましく強引な様子の見知らぬおばさん=今の年齢の私を見ても・・・
何をいわれているか、よく理解できないまま・・・
そうして、何かを見透かされたような、恥ずかしさをちょっぴり感じて。ううん、かなりはっきり、ずきん、と感じて。
それでも、そんな恥ずかしさなんか、そんな痛みなんか、なかったような様子で・・・。 もう、横断歩道をわたっている。
渡り切って・・・いってしまった・・・。
・・・・・・
私もまた、運命を受け入れ・・・。
懸命に自分を何かに当てはめようとする。
そんなふうに、自分自身を利用する。
自分自身を利用しようとして・・・
その後の30年間を生きてゆく。
30年!!
私は何を得たのだろう?
私は何を無駄にしたのだろう?
・・・・・・
ううん。そんな問いこそが・・・
きっと・・・無駄な、問い、だ。
すべてのものを得て、今の私が、ある。
すべてのことが、すべての選択が、今の私を形作ってくれている。
すべてが、貴重。すべてがたった一度きりの・・・私の体験、私の人生、だ。
すべてが私の宝物。
だいたいが、“ぼんやり”すごしたい!だなんて!
何という、ぜいたく。何というわがまま。何という危険。
それはやっぱり、やり通すには、中学生の私には荷が重すぎたんだ・・・。
それは、今の私の望み・・・。
自分を何かに当てはめる、痛みと苦しさ。
それでも、懸命に生きれば、必ず、何事かは得る、という感触。
無駄なものは一つも、ない。
時間は常に、今から未来へと開かれて、いる。
“じゃあ、私は、今から、どう生きる?”。
・・・・・・
しばらくは・・・
中学の頃にはできなかった、“ぼんやりすごす”を納得いくまで充分に・・・安心して・・・するのだろう。中学の頃にはできなかった、“精神的引きこもり”・・・。
そうして、自分と仲良く、する。
自分がしたいこと、をする。
自分がそうなりたいように、なる。
自分のなかにあるもの、に、いちいち驚きながら。
自分のなかにあるもの、とともに・・・社会に、生きる。
自分の内側とも、外側とも。
この世にある様々なものに・・・私らしく・・・出会ってゆく。
出会いたいものに出会い、味わいたいものを味わい、触れたいものに触れてゆく・・・。
なんて、難しく・・・なんてやさしこと、なんだろう?
毎瞬毎瞬が・・・冒険、だ・・・。
“ずっと、あなたを待っているから”。
私が私にいった言葉が・・・耳について離れない。
“いつまでも待っているから”。
“さあ冒険に、出かけましょう”。
私が私を受け入れる。私が私に出会っている。私が私に追い付いた・・・。
魔法の言葉。
“さあ冒険に、出かけましょう”。
私は一人じゃない。
ちゃんと道案内がいるみたい。
それは、なんて安心なこと!
それがどんな旅だとしても・・・
なんて心豊かで贅沢な、旅=人生!
“さあ冒険に、出かけましょう”。
私は私の手をとって・・・いったいどこに出かけるの、かな?
“さあ冒険に、出かけましょう”。
夢の冒険、の、はじまり。