新しい掃除機

“セールス”電話。かかってきた。ずっと以前、のこと。“お試しで安くお掃除いたします”。といわれて。セールスマンがやってくる。“布団の掃除をする”といいながら。結局、掃除機のデモンストレーション。買ってしまった・・・。超高性能な、マシン=掃除機。

布団やソファーのダニを粉砕し、汗を吸い取る、乾燥機能もついた、超高性能な、しろもの、だ。家庭用にしては結構重く。なにより、超、高価な、ヤツ、なのだ。

訪問販売に引っかかったという言い方もできるかもしれないけれど。私としては、納得して。買った。布団やソファーを買い換えるよりも。ずっと。いい。売り 込みの台詞(セリフ)では、掃除機自体も。とても長く、もつ、と、いう。それならば、と。納得する。買い換え、は。環境に優しくない。消費し、ごみを増や す、生き方。長く使う、は。環境に優しい、ものを大切にする、21世紀的な生き方・・・。そんな気がしてしまう。というか・・・。そんな気がして入るとこ ろに、入り込むように。トークをするのだろう。それはセールスマンとしての、当然の職能。それに、もしかしたら・・・。それにきっと。私は口車に乗りやす い、納得させやすい人物、なのかもしれない・・・。そうして、掃除機を。買う。使いはじめる。最初は頻繁に。それから、頻度は減っても。やっぱり。使い続 ける。気に入って。・・・。いや、あの“高さ”から言えば。“気に入った”、と思い込まざるを得ない・・・。そうして、実際に、“気に入って”いる。その 掃除機に。感謝、もしている。“家をこんなにきれいにしてくれて、無精な私でも、家を清潔に保たせてくれて、ありがとう”と。感謝。激しい思い込みのなせ る技、だとしても。そんな自分も。結構好き(^_^)。お気楽脳天気人間、だ。

だけれど、それは。母には内緒。母は訪問販売や高価な電機製品は。認めない。“口車に乗って”、と、言われるのが落ちだ。せっかく買ったものなのに。けちをつけられたくない。特に、母には。それが、母娘(おやこ)というものだ。

そうして近ごろ。夢を見る。母とその掃除機が出てくる夢。同じもの、なのかな。そう、同じものを母も買う?私が買う?何しろ、実家で、母がその超高性能な 掃除機を使っている。私が使い方を説明する。私はちょっとうれしい。私の価値観を認めてくれたような気がしている。私がいい、と思ったものを、母も買い、 使っている。とっても高くて高性能な掃除機。だけど・・・“この掃除機は私には重すぎるわ”と、母がいう。がっかりする。やっぱりだ。母は、私のすること に文句をつける・・・。が、すぐに見方を変える。母は、その掃除機をいいと思って使っている、“私の価値観”に文句をいう、というよりも、単に老人の母に は、その掃除機は重量が重かったのだ。母の文句は、母の現状からきているもの。母の文句は、私を傷つけない。・・・母は母なりに掃除をしている。今まで も、母は母の方法で。ちゃんと掃除をしてきている。
・・・・・・
そういう夢。

夢は、いろいろに解釈できる。私の場合は。起きた直後に夢を“読む”(=解釈する)ことが多い。そのとき、の私の解釈は。“母は母なりに掃除をしている。 心の掃除も。私がしているような。徹底的な掃除=浄化ではないとしても。母もしている。浄化。心の掃除。私も手伝う”そういう夢。と。感じた・・・。

と。その夢を見て何日かして、電話がかかる。実際に。母からだ。 “掃除機が壊れたのよ”。母が言う。あれ?掃除機? 夢と連動している。

母は私に会いたい。どんな小さな理由でもいいから。私に頼りたい。頼ることができる娘、がいることを確認していたい。老人の不安。で。私に電話をかけてく る。“どこで買おうかしら。来てくれない?”“あのね、ママ。家に掃除機余っているわ。あげるから。持っていく”。もう何年も前?の掃除機。高性能の掃除 機を買ったので、余っていた、掃除機。母のうちにあるのは、20年以上昔の掃除機。だましだまし使っていた、ところどころにビニールテープで補修がしてあ るような、掃除機。何年も前のものだって。それに比べれば充分新品だ。

そうして、母の家に。いそいそとあまっている掃除機を持っていく。私もまた。母に会いたい。マザコン娘。

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このお正月に私は実家に帰らなかった。年末に。けんかをする。それでも。やっぱり。お正月ははずしたとしても。一月中には実家へいく。老眼はなはだしい母の用を手伝いに。

そう。お正月明け。年が明けてはじめて会う、そのときに。作文をもっていく。作文=爆弾だ。そう。HPに載せている。この一連の作文をプリントアウトして。一大決心をして。持っていく。

私が私でいられる空間を増やすために。真実を共有できる人=味方を増やすために。そのための。・・・爆弾=作文、だ。

用をすませて、帰る間際に。やっと。手渡す。そう変革は。いつでも勇気のいること。こんなちっぽけな爆弾だから。ううん。ちっぽけな爆弾だからこそ。私に は、勇気がいること。声がふるえる。“これ。わたしが書いたもの。ママには感謝している。よく育ててくれて。大きな病気もせずに。大きくしてくれて。だけ ど、もっとゆっくり育ちたかったとも思っている。これは、わたしから見た、ママとパパのはなし。だから。実際とは違っているかもしれない。だけど。わたし からはこう見えた。こう感じたってことなの”。母がうれしそう。顔がほころぶ。“感謝”ってところに反応している。そういう単純さもある。母。“それか ら。パパの名前とか。変えているの。ホームページに載せているから”。とたんに母の顔が曇る。不安、恐怖の色さえ。出てる。“寂しいわね”という。寂し い?そうかな。“で、みんなはなんていっているの? あなたが正しいっていっているの?”

わたしの小さいころの母の脅し文句。“誰にでも、聞いてみなさいよ、そんな変なこといって。本当に常識がないんだから”。“私の言う通りにしていれば間違 いはないの”。“このうちが嫌なら、○○ちゃんの家の子になっちゃいなさい”、“親なんだから、煮て食おうと焼いて食おうと。わたしの勝手なのよ、覚えと きなさい”。緑の目をした、尋常でない目をした母が。般若の形相で。ものすごい剣幕で、まくしたてる。フリーズするしかない。凍り付く。子供=私の心。誰 もが凍り付く。弟も。父も。母の兄弟も。“Kちゃんは怖い”。と。恐れられている母。恐れられることが、存在理由になっているような母。(それはあまり に。痛々しいありようだ・・・)

大きくなった私が。人に聞く。誰もが、という訳ではないけれど。私はそれなりに、受けいられていく。私らしい私として。私はそんなに常識がない訳でも。変 わっている訳でもないらしい、と。だんだんと。わかっていく。私は私を取り戻す。ゆっくりと。だんだんと。自分になっていく。

オープンにしてしまえば。母は自信がない。“で、みんなはなんていっているの? あなたが正しいっていっているの?”と。聞かずにはいられない母。

“これは、爆弾ね”と、作文を指して、いう母。母の自我(エゴ)を。それまでのありようを。告発し、爆破する。爆弾。

正しさなんて。いつもいつも役に立つ訳じゃない。

正しいかどうかなんて。まるっきりわからないけれど。私が感じたこと。私にとっての真実だ。それは誰にも。侵すことができない。私は私を。生きている。

そうして、結局母は。作文は読んでいない。“眼鏡をつくり直さなくっちゃ”。老眼を理由に。作文を読まない、母。“こんなものないと、わかりあえないのか しら。親子なのに。寂しいわね”という母。“だって、私は40年間ママと擦れ違っていると思っているんだよ? 私たちにはわかりあう基礎がないで しょ?”。

“かわいいママね。老眼を言い訳にするなんて。全然違う言葉をしゃべっている異邦人同士みたいじゃない”。と。電話口で。お友達はいう。

“作文は。読んでくれても、くれなくても。私はママが大好きよ。幸せに生きて欲しいって思ってる”。唐突に?、そんなこともいう娘=私。そう戦争の少女時 代を生き抜いた母を。父の洋行についていった母を。高度成長期に子育てをした母を。その時々で。たとえ狭い視野だとしても。怒りを垂れ流していたとして も。“そんなこといわれたって、私なりに精一杯やったのよ。あなたは気にいらなかったとしても”。という母を。私は大好きに思っている。いとおしい、母。 いとおしい、母という人の、女性の人生。まるで恋人のように。母を想う。(マザコン娘=私)。

母を想う気持ち。ずっと昔に。もっていた。そうして。ずっと昔に。あきらめた。

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私が2~3歳のころ。
けんかをした。父と母。母は自身の実家に帰る。といっても都内なので。子供の私から見たら、そんなに切羽詰まった感じは、ない。おばあちゃんのお家に、泊 まりにいく。ちょっとはしゃいだ気分の。お泊まり、だ。その翌日は。母の長姉の嫁ぎ先の家に泊まる。親戚の中で、一番お金持ちの家(一番お年玉を多くくれ る、家)。だから私は、やっぱり、ちょっとした、イベント気分。いつもは飲めないジュースをいっぱい飲んで。ちやほやと。遊んでくれる、いとこのお姉さ ん。お兄さん。弟はまだほんの赤ちゃん。ジュースが飲める喜びを、分かち合うには、幼すぎる。この事情を分かち合うには。幼すぎる。

理由は父の浮気? わからない。子供には。ただ。いつもと違う環境。いつもと違う部屋で。寝泊りできることがうれしい。小さな私たちを。ちやほやとしてく れるおばさん達がいるお家に泊まれることが。うれしい。父が母を向かえに来る。病院の勤務がすんでから。あるいは。病院の勤務にいく前に。おばの家によ る。“Kちゃん。帰ってきてくれよ”とかなんとか。父がいう。 母は首を立てに振らない。おば達が取りなす。が、結局父は勤務の時間になる。出かけてい く。私は。おばのうちの窓から。“パパ~、早く帰ってきてね~、向かえに来てね~”と、思いっきり叫ぶ。そうしろ、と。おばにけしかけられたのかもしれな い。道路に面した大きな窓。気持ちよく、声のとおる、窓。父が手を振る。ますます、うれしくなる。“パパ~”と叫び、手を振る、3歳の私。と、母が、“ど うせ。あんた達だって、パパのほうが好きなのよ。どうせ私のことなんか。どうでもいいのよ”。今なら。わかる。すねている母。子供にさえ。八つ当たりした い母。そうやって、怒りでわがままを通してきた母。だけどそのときは。わからない。なんで、私の母に向かう気持ちを、“ない”と断定されるか。こんなに 思っている気持ちを、流れている気持ちを、信じてもらえないか。わからない。母のひざに取りすがって、“ママも。大好きだよ? ママ、大好き”。必死にい う、子供=私。“なにいってるのよ。私のいうことなんてちっとも聞かない癖に。あんたたちだってパパがいいのよ”。ええ~。そういうことになっているの か。わけもわからずにおもう。母に。信じてもらうためには。あんまり、父と仲良くしてはいけないのか。そうやって。父と切り離される。ううん。父と自分を 切り離す。母に信じてもらうために。“ママの味方にならなくちゃ”と。

だけれど。結局。母はずっと信じてくれなかった。母に流れている気持ち。母が大好きだと思う気持ち。それを受け取ってもらえないことは。とても寂しいこ と。受け取ってもらった実感が得られないことは。とても寂しい。小さな子供にとって。ううん。たとえ大人になったとしても。思う気持ちを受け止めてもらえ ないことは。とても寂しいことなの、だ。大切な人への気持ちを、静かに、ゆっくり、しみじみ、と。受け止めてもらえないことは・・・。照れを理由に捨てら れてしまっては。自分を否定されるような、凍り付いて時が止まってしまうような、気がしてしまう、こと、なのだ。

そうしてあきらめる。小学校の高学年のころには。もう。通じないのだから。母のまねをして。怒りで、すべてを誤魔化して。“ママなんか大嫌い”といって。あきらめる。反抗期。母に、“好き”を伝えることを。あきらめる。

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結局、作文は読まない母なのだけど。作文は読めない母なのだけど。ずっと態度が和らぐ。ずっと居心地よくなる。私が私らしくいられる空間が。広がった。革命、だ。

いちいち私の言うことに。“そんなばかなことをいって”ではなく。“TVで○○さんも、似たようなこと、いっていたわ”と。母らしいピントのずれようで。それでも。理解しようとしてくれている(らしい)母。それだけでも。私には。うるうるくるくらい。うれしい、こと、だ。

“あなたは自分のことをちっとも話さない。親ならば。知りたいと思うのは、当然でしょう?” “私はママが好き”。“ママも私を好きなら、私のことを知り たいなら、作文を読んで。あなたがしてきたことを。私がどう受け取ったかを。ちゃんと見て”。・・・。無言の母。そうして角を引っ込める。人を責める前 に、自分にすべきことがあると。やっと知る。母。・・・。革命、だ。

そうやって。40年経って。やっと届く。革命の果てに。母の心に。“ママが大好き”という、私の気持ちが。母が読まない作文を通して。ただ、作文をわたすことで。変化が。起こる。

きっと母が、その母に、父に、それから私の父に、誰かに、言って欲しかった、届けて欲しかった、言葉。“あなたが好きよ”と。“どんなあなただとしても。あなたが好きよ”と。きっと。いって欲しかった、母。

私もまた、ママ、あなたにいって欲しかったのだけど。
“どんなあなただとしても。何をしても、しなくても。何をいっても、いわなくても。 あなたは私の自慢の娘よ。とても誇りに思っている。あなたはちゃんと、自分の道を歩いていける。信じてる。あなたは魅力あふれる人。たとえあなたが私の娘 ではなかったとしても。やっぱり、あなたが大好きよ。ずっと私の味方でいようとしてくれて、私を慰めようとしてくれて、本当にありがとう”。と。

母を慰めようとして、およばなかった。母の味方でいようとして、そんな器はなかったのだけど。私はあなたの娘として、その気持ちを届けようと、がんばった/がんばってきた・・・んだよ・・・。

だから・・・。
・・・私は、ずっと、そんなふうにいって欲しかったのだけど。いってくれなかったね、ママ。

これからは?・・・やっぱり、いってくれるかどうか、それはわからないのだけれど・・・。

いってくれてもくれなくても。それは、それで、いい。それは、母が決めること。私がそういって欲しいように。いってくれても、くれなくても。私はやっぱり、母が好き。

私は届ける。今も、そして、これからも。 “ママが大好き”。“ママがどんな人、だとしても。ママが私に何をしても、しなくても。何をいっても、いわなくても。やっぱり、ママが好き”。

マザコン娘=私。
そう、そうだとしても。・・・。それで、いい。

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母は、私が持っていった掃除機を使う。その掃除機だって。電車で運ぶのは、結構重かった。

“あら、いいじゃない”。さっそく使ってみる母。“まだ新しいじゃない。よく吸い込むわ”。さっそく、部屋中を。掃除する。使い方を確認する。“ありがとう”。
そう、私たちは。そうやって、お礼を言い合う関係。それは、だいぶ、ほぐれてきた、ほどけてきた、緩やかな、穏やかな、関係・・・だ。期待でお互いを縛るのでは、なく。存在を喜びあう、関係。

母も私も。掃除をする。お互いにちょうどいい、道具で。お互いの存在、をいとおしく、思い。掃除をする。ありがとう。ママ。大好き。幸せに、生きて、ね。