父の物語

 これは娘の私からみた、父の物語。
もうなくなってしまって、確かめようがない。それでも、この物語をオープンにしたい衝動が私にはある。・・・。なんだろう・・・? 父の娘である/合った ことを確かめたい、からかもしれない。生前、心からわかり合える親子ではなかった気がするから。・・・だから、これはフィクションです。私の想像の世 界・・・。せめてこんなふうに父を表現することで、少しでも父を、父の家系を、そして私自身を理解したい・・・。そんな祈りから、これを綴ります。(誰か を傷つけるためではなく、在るべきものを在るべき場所におさめるために、それがふさわしいのなら、光へと帰っていく旅を見送るために、そして、今生きて生 活している人達へ、ふさわしい光を届けるために、これを綴ります)

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帝大にはいるぐらい、勉強はできるけど、人付き合い、という点では、ねじが一本足りないような、歯車をかけ違っているような、そんなところのあった父。 “あいつより、どいつより、俺が優秀”、という尊大な父。叔父たち(父からみたら弟たち)に煙たがられて、仲間外れ?にされても意にかいさない父。父より 3歳年下の叔父に召集礼状が来て、田舎に戻るときは、一方は下駄、一方は靴をはいていた、というエピソードを持つ父。それでいて、情熱家で、繊細なところ もあった人だと思う。特に早くになくなったY叔母への思いに関しては。晩年の父は、職場の周囲の人(晩年勤めていた大学の助手とかそういう人)には、娘で ある私のことを沢山話していたらしい。私は、こんな学校を出ている。こんな仕事をしている、こんな人と結婚している。だから、お葬式で初めて会った方で も、はじめてのような気がしない、という人もいた。そんなふうに私は父にとっても愛されていたのに。父とは出会えなかった。間に合わなかった。田舎出のず んぐりした体つきがもう嫌だった。休日に部屋にいるのにジャンパーを着て、水割を朝からちびりちびり飲む姿が嫌だった。とても父から、切り離されていた。 とても。だから、ゆっくりと、掘り起こす。記憶の中。たどっていく。

中部地方の田舎に生まれ育った父。代々の医者の家系。

日本では、人が亡くなると様々な場面で、除籍謄本、というものが必要になる。少し長くなるが、説明しよう。たとえば、とある人、Aさん。たいてい最初は父 であれ、母であれ、親が筆頭者である戸籍にはいる(登録される)。そして、さらに、たいていは、結婚によって新しい戸籍を作り、登録する。これで、Aさん の関わった戸籍は2つ。後は、無事結婚生活が続き、子供ができれば、同じ戸籍に子供が増えていく。もしかしたら、その後、Aさんは離婚などによってさらに 新しい戸籍を作るかもしれない。・・・。そんなふうにAさんが生きた奇蹟がたどれてしまう。ドラマ=除籍謄本。生々しい。・・・そして、時に、それまで、 妻や子供には表現せずにすませきた、事柄、謎?が、ちらりと、顔をのぞかせる・・・。他の人からみれば、些細なこと。微妙なこと。家族だからこそ、そのひ だ、の物語る何かが、意味をもって、甦ってくる・・・。紐解かれる、家族の歴史。

田舎に生まれた父は、勉強のため、都会に出てくる。そして、医学を修めた後も都会に残り、就職し、結婚し、家庭をもった。私が小学校に上がるころには、父 は田舎には、あまり頻繁に帰らなかった。なん時間もかけて帰っても・・・きっとそのころには、高度成長期の波によって父の記憶の中にある田舎の様子とは、 姿を変えてしまっていたからかもしれない。あるいは、彼の地に帰っても、父の父母ともに、もうこの世に亡く、やっぱり懐かしさ、が薄れていたから?かもし れない・・・。

生まれたばかりの私を父はたいそうかわいがったらしい。ミルクを飲ませたり、お〆を取り替えたり、お風呂にいれたり。たとえ小児科医だ、という自負がそう させたのだとしても。当時にあっては、かなり革新?的なことだったのでは、と思う。母が私に妬きもちを焼くほど(それを30年以上も心に抱き続けるほ ど)、熱心に私の世話をした・・・。が、私の記憶にある父は、いつもある種の緊張と苦さ、が、漂っている人。幼い私の方からは、近づきにくい人・・・。そ う、子供は、苦さ、が苦手なのだ。

父の関わった戸籍は3つ。父の父の戸籍に生まれ、父の父が学生時代に亡くなると、兄弟たちの戸籍の筆頭者になる。婚姻により、そこから抜け、さらに新しい戸籍を作る。

私の祖父が早くに亡くなっていたことは知っていた。そして、父が(生きている)兄弟の中で一番年上だ、ということも。4-5歳?5-6歳?の私は、田舎で 無邪気に叔父に聞く。“パパはなんで一番上のお兄さんなのに、“三郎”なの?” 叔父は父の顔を見る。父の苦笑い。答えのない/得られない、問い・・・。 とってつけたように、“昔は、田舎では、そうしたんだよ”と、父がいう。何となく、聞いてはいけないことを聞いてしまったような、もう、しつこくはできな い、そんな雰囲気。

田舎に帰るのは、法事のため。お寺。お線香。それは、幼い子供にとっては、死のにおい。

かなり大きくなるまで知らなかったが、父の実家はある種の幽霊!?屋敷でもあったらしい。いわく、誰もいないのに、ふすまの引き戸が、すっと開く。“観音 開きの戸なら、風で開くっていうこともあるでしょうけれど。引き戸なのよ”。誰かが、外地?から持ち帰ったという頭蓋骨。“でもそれは、戦後、ちゃんとお 寺で供養してもらって、お寺に返したらしいのよ”。弟と母が話している。弟は小さい頃?から少し知っていたらしい。(私は知らなかった、知らされなかっ た、そういう偶然/偶然でないこと)。今でも・・・早くに亡くなった、父の妹?らしき人の幽霊?を見た、という親戚の人・・・。不思議の起こる、家。

様々な手続きのため、母は除籍謄本をとる。電話口で母が興奮している。“秘密がわかったのよ”。なんの? “おばあさんは未婚の母だったのよ”。は? 明 治の頃は今より未婚の母も多かった気もするが・・・。離婚率だって、たしか、今日並のはずだ。“だって、あなたのおばあさんは商家のお嬢様だった人なの よ。女学校にいっている当時は数少ないハイカラさんなのよ”。祖母の気丈ぶりに、采配ぶりに、全面降伏していた母。一緒に暮らしたことはなかったが、ある 種のかなわなさ、を感じていたらしい。その姑のいってみれば、スキャンダル。あのしっかりものの姑が未婚の母だったなんて、信じられない、そんなに情熱的 で、ある種、ロマンスを感じられる行動をとった人だなんて、信じられない・・・。母の興奮ぶりから、の推察。関西の都会の商家のお嬢様だった祖母。女学生 の祖母。田舎から出てきて医学を学ぶ学生である祖父と恋に落ちる。祖母、祖父、の両方ともの家から、歓迎されない。お互いの情熱のみに支えられたカップ ル。子供が生まれて?あるいは、生まれる前から?祖父は祖母を田舎に連れて帰る。もしかしたら、祖母は勘当同然。でも、田舎では下手に“学問”のついてい る嫁は歓迎されない。ただただ、忍従の生活。二人の子供を籍を入れないまま、生む。そして、あっという間に(4-5歳で)二人ともが亡くなる・・・。やっ と、戸籍にはいる(正式に結婚する)。子供が生まれる。その人が長男。でも父じゃない。その人は“次郎”さん。“医者の家系なのに早死にな人が多いの よ”。“次郎”さんは、15-16歳ほどでなくなる。ああ、そういえば、その人のことは父もいっていた。わたしが大人になってから。“とてもよくできた文 武両道の秀才だった”と。父が手放しで、人を褒めるのを、後にも先にも、このとき初めて見た・・・。

“パパは、お姑(かあ)さんの方の家の話しは、ほとんどしなかったわ”。それは、そうかも。だって、もしかしたら、駆け落ち同然?で、勘当されて?出て いった娘の子供。たとえ“医者”と結婚したのだとしても。田舎の医者では。都会の大商家からみたら、やっぱり馬の骨。そんなふうに祖母を愛していた祖母の 実家。大切な娘を奪われた・・・。“奪われた”娘の子供は、歓迎されなかったのかもしれない。だって、その子を見るたびに、“奪われた”悔しさを見せつけ られる。悔しさは憎しみに変わったかもしれない。そして、冷淡さ、となって現われる。・・・。気丈な祖母は、そんなこと歯牙にもかけなかったかもしれない けれど。祖母や自分が歓迎されないことを、子供の頃の父やその兄弟は敏感に感じたのだと、思う。そういう家の話しはしたくはないだろう。医者の家の子とし て、田舎でちやほやされて育った父としては。自尊心を打ち砕かれる場所。・・・父は祖母の実家のある関西の都会を勉学の地に選ばなかった。妻にすら話さな いほど感じ、意識には上らないほど、心の奥底に押し込めていた、自覚のない父の悔しさ。

気丈さゆえに、早くになくなった子供たちへの悲しみを表現する間(すき)のない、祖母。

さらになくなる子供。父の妹に当たる人。“カリエス”。苦しい病気。
晩年父は、夢を見る。父の母と妹が、現在の家に訪ねてくる夢。“だって、お姑(かあ)さんも、Yさんもとっくに亡くなっているじゃない。その夢は変よ”。その夢を見てから父はよく泣くようになった。持て余しぎみの母。“あなた、きてくれない?”。

Y叔母は小学校の頃から、カリエスを発症していたらしい。小学校を卒業すると、受験をして女学校へいくこともできる。通うのが大変だから、上の学校へは、 無理していくことない、と叔母にいう人もいた。それでも、“学校へいきたい”と、“いたい、いたい”といいながら、坂道?階段?を上って通ったという。 “そんなふうに、がんばり屋さんだったんだよ”。布団の中で、孤独に病と戦うだけの生活。それは耐えられなかったのかもしれない。学校。未来へつながるも の。明日への希望を当然のようにもっている友人たちと、ただ一緒にいるだけで、自分も夢を紡げるような、そんな気がしてくる場所。
医学生の父が田舎に帰ると、Yさんは布団に寝ていたという。“おにいちゃん、私の病気を治して”。突然のことに言葉のでない父。治してやれるものなら、も ちろん治してやりたい。でも、当時は、それは、不治の病。まだ、卵の腕前すらない、医者としての父。“そう。そしたら、お兄ちゃん。私が死んだら、机の中 にある日記帳を、お棺の中に一緒にいれて、燃やして?”。悲しい願い。とても少女らしい、かわいらしさ、いとおしさ、そして決定的なはかなさ、を感じさせ る、哀しい願い。
父は、うなずくことしかできない。一番治してあげたい人を、治してあげられない。失敗=悲しみ、から始まる、医者としてのキャリア。父の苦さのもと。
“そうしてあげたの?”。“ああ”。
“今の生活を思うと、こうして、自分の家があって、妻や娘や息子がいて、平和に無事に生活できている、というのが、Yの望みだったんではないかと思うんだ よ。Yがしたかった生活を自分がしている・・・”。それは、涙のでてくること。当然だ・・・。“パパにそう思ってもらって、Yさんも喜んでいると思う よ”。型通りのことしかいえない、生意気で、腑甲斐ない私・・・。
ちょっと白けたような、びっくりしたような顔をして、私を見る父。それからは、Yさんの話もあまり、しなくなったようだ。(娘の腑甲斐ない対応に、理解さ れること、を、あきらめてしまったのか・・・。でも、私には、そうとしかいえなかったのだ。しょうがない。私はすべきことをした・・・)

それから間もなく、父は心臓病で倒れ、一年ほど患って、なくなった。
その一年は、私や母や弟を納得させるための、“こんなにパパも苦しんだし、私たちもせい一杯できることはしたし、やるだけのことはやったのだ”と、思わせ てくれるための、プレゼントの一年だったと思う。身を削って与えてくれた時間。大切な人と、もう会えない、ことを納得させてくれるためのプレゼント。

それから、他にも。たとえば、この物語りも。これも父からのプレゼント。
父からもらったDNAも。新しい身の振り方も。きっと、父からのプレゼント。
(そして、自分から自分へのプレゼント)

そうだとしても・・・。
父は、私を私から切り離しもした。父は、というか、父の感じていた苦さが。
私がありのままの私を生きることを。生きづらくした。
(そんな恨みがましい思いも、私にはある・・・)
私が女らしい子どもであっては、きっと、父も、母も困ったのだと思う。少女らしい少女だったら。

父のとっての少女。Y叔母。10代でなくなった人、はかなく、か細く、そして、柔らかい人。忘れられない人。そして、父自身の無力さを、突きつけられる・・・。

3歳の私。バレエのポーズをとって、おしゃまな感じで、写真におさまっている。明るい笑顔。

私が、バレエがすきで、ぶりっこちゃんで、お料理やロマンティックなお話が大好きなまま育っていたら、父はY叔母を鼻先に突きつけられている気分だったろ う。それは、耐えられない。悲しみを悲しみとして、表現できない/できなかった人にとっては。“パパ大好き”。と、屈託なくいう少女だったら。私を寄せつ けない、父の苦さ。
私は、“算数がすき”な少女に育つ。理系への道を歩む。10代のはじめには、とてつもなく太りはじめる。(だって、やせていては、あまりに、かわいらしす ぎる。父に疎まれてしまう。無意識に感じ取る。自分でいうのも変だけど・・・。妙に敏感な子供)人を傷つけてしまうような、激しい物言い。けんかっぱやい 子。文学を好むような、やさしいしぐさをするような、“パパ。紅茶入ったわ”なんていう、女の子らしさ、を歓迎しない父。そのくせ、旅先で、私よりさらに 太った女性を見つけては、“真佐子は将来ああなるのかな”、等という残酷な父。“それでは、私は、頭が切れ、内面は男っぽく、見た目はきれいっぽい人に なってやろう”。悲痛な適応をする自分。(そんな人にはなれない。なれない人になろうとする。それじゃ、ゆとりはない。人を傷つけていい、言い訳にはなら ないけど・・・。他の人への十分な配慮をする余裕はない・・・。あらゆる人に、ごめんなさい、な私の幼年期。児童期。思春期。青年期)

母にとってのライバル。早死にしてしまった、父の妹。(それは、男女の愛ではなかったとしても。父にとっては、“女性”の基準。Y叔母より、魅力的な女 性。父の何かをゆさぶる人。いたのだろうか・・・) 死んでしまった人に、勝てる訳がない。母の無力。そして、赤ん坊の私を猫かわいがりする父。またも や、勝てない母。父の心を占めている、見えない相手。見える私・・・。もともと、激しい物言いの母。ぼーっとしていて、ぶりっこもする私。“怒り”が最終 兵器(それさえあれば、何でも思い通り?になる)の家系の母からみたら、そんな私は宇宙人だったのかも。わからない、というだけで我が子まで恐ろしいと、 感じてしまう。娘を自分のコピーとして取り込んでいく母。それが安心。母の安心を生きる私。男の子なんか、いいまかしてしまう小学生。成績だけが、プライ ドとなり、横柄な、小学生=私。

早くなくなった私のお姉さん。
大切な人を亡くすことで、本当の意味で、お嫁に来た母。“早死にする子供”の家系に嫁いできた母。哀しみ、をひき受けた母。だからこそ、病弱な私には、気 が気ではなかっただろう。叱咤し、あらゆる気づかいをし、私を生き延びさせた母。“私は身を粉にしてあなたたちのために働いてきたのよ”。私には、恐ろし い、母の愛情。(そう、それでも、それは、十分過ぎる、愛)。

関西の都会から嫁いだ(来た)祖母は、医学を修めた父に、“ここに帰ってこなくてもいいわよ”と、いったらしい。“あなたの才能がいかせる場所なら、あな たらしく生きれる場所なら。家を継ぐ必要はない”。祖母がくる前から、きっと、何かあった場所。家系。それが何かは、もう、わからないけれど・・・。 (だって、父のほかにも、その土地から出てしまった人、いる。父のいとこ。優秀で、その母が、開業のための道具全部を準備し、診療所も準備し、帰郷を待ち 続けたのに・・・。絡まった人間関係。離れたくなるような、何か・・・)
(私には、祖母が、その土地を癒す決意をもってお嫁に来た、光を携えたエンジェルに感じられる・・・。根拠はないけれど。私の中の確信・・・)

それでも、新しく家を建てかえ、いとこの代になって、圧倒的に明るさをましている田舎。 (祖母と同じ出身地のお嫁さんをもらったいとこ。順調にかわいらしく育っている小さないとこの子供)

私がまだ、何かを拒否しているとしても。それさえ、ゆっくりと明らかになる。
それは、きっと、私も、私のDNAも、まわりもすべて癒される、道。
今は、はっきりしないとしても。ただ、歩き続ける。